プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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はぁちゅう氏の電通クリエイターセクハラ告発事件-なぜクリエイターがこんなことをやるヒマがあるのか?

 ブロガーとして有名な「はぁちゅう」(伊東春香)氏が、電通時代の上司である岸勇希(きし ゆうき)氏に受けたパワハラ・セクハラを告発したことが話題になっている。

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 なお岸氏は、社外でも著名な広告クリエイターらしい。(私は全然知りませんでしたが)

 どうも近頃の電通、「疑惑の総合商社」ならぬ「不祥事の広告業者」になってしまったようである。

 ところで、岸氏のパワハラ・セクハラがどんなものだったか抜き書きしてみると――


●『今すぐ飲みの場所に来い。手ぶらで来るな。可愛い女も一緒に連れてこい。お前みたいな利用価値のない人間には人の紹介くらいしかやれることはない』

 

●「自宅にいくと、黙って正座をさせられて、彼が作業をしているのを延々と横で見させられるか、彼の仕事の功績を聞いて、それを褒め続けたり、岸氏の嫌っている人を一緒にけなすなどさせられたりしました。そして、当時、岸氏は私の友人と付き合っていたのですが、『こうやってこの時間にお前が俺の家にいることを言ったらどう思うかな。お前が誘ってきたことにもできるからな』などと言われました」

 

●『俺に気に入られる絶好のチャンスなのに体も使えないわけ? その程度の覚悟でうちの会社入ったの? お前にそれだけの特技あるの? お前の特技が何か言ってみろ』

 

●『お前みたいな顔も体もタイプじゃない。胸がない、色気がない。俺のつきあってきた女に比べると、お前の顔面は著しく劣っているが、俺に気に入れられているだけで幸運だと思え』

 

●『あいつ(当時岸氏と付き合っていた彼女)は下手だからもっとうまい女を紹介しろ。底辺の人間の知り合いは底辺だな。お前もセックス下手なんだろ。彼氏がかわいそうだ』

 

●『俺は愛で言っている』『全員にこんなことをしているわけではない。お前には愛があるから指導している。どうでもいいやつはどうでもいい。お前はどうでも良くないから睡眠時間を削ってわざわざ電話しているのだ』


 とまあ、まるで冗談で言っているかのような、(部外者にとっては)爆笑もののセリフ揃いだ。

 本当に、言いも言ったりとはこのことである。

 マンガのようなクズ人間である。

 岸氏がどんなスーパークリエイターだろうと、ビル・ゲイツなどに比べればゴミのようなものなのだが――

(本人にもこういう自覚はあると思う)

 それでもこんなことを言ってしまうのが、土人根性というものだろうか。

 特に「彼の仕事の功績を聞いて、それを褒め続けたり、岸氏の嫌っている人を一緒にけなすなどさせられたりしました」という部分は出色である。

 この部分を誰かと一緒に読んでいたら、「ぶはははは」と大笑いしたくなってしまうだろう。

 

 さて、私はこういうニュースを聞くたびに、どうしても不思議に思うことがある。

(事の善悪は全く度外視して、の話だ。)
 
 それは――

 こんなことで女と一緒に過ごしたりヤラせろと迫ったりするのを、こういう人は勿体ないと思わないのだろうかということである。

 いったい、女とこんな話をしたりセックス・セクハラすることが、どうしてこういう人たちの中ではそんなにも優先順位が高いのだろうという疑問である。 

 この私でさえそんな時間は勿体ないと思うのに、まして岸氏はクリエイターである。

 それも、世界的に著名な(らしい)大物広告クリエイターである。

 そういう人って、頭の中は四六時中クリエイティブなことばかり、次の広告のことばかり考えているものではないのだろうか?

 そんなことを考えていると、風呂に入ったりゲームをしたりする時間も惜しいと思わないものだろうか?

 いや、何よりも本人自身、そういう自分でありたいと願っているはずである。

 であればわざわざ女を呼びつけて、(クリエイトの面では無駄としか言いようがない)一緒の時間を過ごすなど、ほとんど罪悪感を抱くほど勿体ないことではないか?


 察するに岸勇希 氏、そんなにはクリエイティブなことが好きではないのだろう。

 好きでなくても得意である、というのは、世の中の人によくあることだ。

 なるほど人には色んなスイッチがあるので――

 岸氏にとっては、パワハラやセクハラや「女をモノにする」ことが、(いわゆる)芸の肥やしになっているということはありそうである。

 しかしそのやり方が「自分の仕事の功績を女に言い聞かせ、それを褒め続けさせたり、自分の嫌っている人を一緒にけなさせる」ことであるとすれば、なんとも哀れで惨めで滑稽な人物像と言うしかない。

 これはまるで、酒飲みのゴクツブシのDV親父の漫画化である。

 
 確かに、岸氏のような人物は世の中に大勢いるのだろう。

 その中には「著名」で「極めて有能」な人物も大勢いるだろう。

 しかしそれも、一皮剥けば(告発する度胸のある人が出てくれば)こんなものだということがわかる。


 私は、人が飛び抜けた能力を持っているからって、別に偉いとは思わない。

 そういう能力を持って生まれてきたのは、単なる偶然だからである。

 ベンツやダイヤモンドを持っているからってその人を尊敬するのがおかしいのと同様、高い能力を持っているからってその人が「上」だとする理由は何もないのである。

 岸氏もその他の“能力ある著名人”も、要するに“能力ある一般人”に他ならない。
 

tairanaritoshi-2.hatenablog.com

 
 そして岸氏の場合、「卑劣漢」という言葉に準じて言えば、やはり「凡俗漢」だったということだろうか……