プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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教育勅語が「イイ話」なのは当たり前-森友学園と保守主義のイメージ下落問題

 森友学園については連日連夜新しいネタが出てきて、それらを読んでるだけで一日が終わってしまいそうである。

 本日(3月9日)にはいよいよ大阪府教育庁の職員が“瑞穂の國記念小學院”へ調査に入り、籠池泰典理事長も大勢のマスコミに取り囲まれた姿が生中継された。

 ところが教育庁職員はたった30分で学校から出てきてしまい、籠池理事長からの聞き取りをはじめロクな調査もできなかったとのこと。

 それはなぜかと言えば、籠池理事長の妻(で塚本幼稚園の副園長)の籠池諄子という人が、「夫の制止も聞かず」職員を携帯電話で撮影し続けていたからだという。

 この記事を読む人ならば、この籠池理事長の妻というのが、夫をも凌ぐ「問題児」であることをネットやテレビで見聞きされているだろう。

 その奇天烈ぶりは(もちろん、報道を信じるならばだが)枚挙にいとまなく――

 しかも7年前には、自分の幼稚園の前を通りかかった小学3年生の男の子を「挨拶できんから」との理由でどつき、最高裁まで争った末に30万円の罰金刑を受けたそうである。

(そしてこのとき小学生の父親に抗議された籠池理事長も、「なんやとー。どついて何が悪いんじゃ。これが園の方針なんじゃ」と謝りもしなかったらしい。)


 何というか、似たもの夫婦というか、似合いのカップルと言うべきか――

 他にいろいろ報道されていることもひっくるめて、ほとんど狂人の域に達しているかのようだ。

 そして今回、初めて大々的にマスコミに取り囲まれた籠池理事長は、質問には全く答えることなく持論を展開した。

 朝日新聞テレビ朝日を非難し、教育勅語のどこが悪い、みなさんこそ偏向しているから日本はどんどん悪くなる、と主張した。

 そしてまるでこれに呼応するかのように、稲田朋美防衛大臣は国会で、

「日本が道義国家をめざすというその精神は今も取り戻すべきだと考えている」

教育勅語自体が全く誤っているというのは私は違うと思う」

 と発言している。


 誰でも感じるとおり、籠池理事長と稲田防衛大臣が言っていることは、ここ二十年くらい?日本の保守勢力・右翼勢力が言ってきたこと/書いてきたことと同じである。

 もう全く、そのまんまの反復でありコピーである。

 ついでなので書いておくが、私も教育勅語が全部間違っているとは思わない。確かに「いいこと」を書いている(部分もある)と思う。 

 しかしそれは、他のどんな人の言ったこと/書いたことについても言えることだ。

 『毛沢東語録』にも『わが闘争』にも「イイコト」は書いてあるだろうし、今の北朝鮮の学校だって「イイコト」を教えているに違いない。

 あのトランプ大統領でさえ、演説では「イイコト」を言っているのではないか?

 この世には「イイコト」や「イイ話」が溢れているのであり、どこを見ても何を見ても大抵はそういうものに行き当たる。

 きっとあなたや私にも、「イイ話」の一つや二つは簡単にひねり出せることだろう。

 現にネットには(芸能人とかの)イイ話が――「話題・共感・賞賛を呼んでいる」などとリード文のある記事が、ポンポンポンポン掲載されているではないか?

 別に教育勅語に「イイコト」が書いてあるからと言ってそれは当たり前のことで、感動・感心するような話ではない。


 そしていつも思うことだが、では実際に教育勅語で育てられた戦前世代の日本人というのは、本当に今の日本人より道徳的に優れていたのだろうか?

 そう信じている人がもしタイムスリップしたとしたら、たぶん感じるのは失望や絶望ではないかと思う。

 私は昔の世代が今の世代より高貴で道徳的だったなどとは少しも思わないし、今の世代より若い世代はさらに悪くなるだろうとも思わない。

 世界はどんどん悪くなっていく、それに比べて昔は良かった、などと思うのは、典型的な古代人・中世人の感性である。

 たとえば少年犯罪について、本当に教育勅語世代というのは今の若者よりマシだっただろうか?

 そして教育勅語で育った大人たちは、今のあなたが周りから受けているよりマシな応対をあなたにしてくれるものなのだろうか?

 どうも私にはそんな風には思えないし、たぶんあなたもそうは思いはしないだろう。


 また、もっと言うならば――

 あなたが尊皇心を持っているとして、もしタイムスリップして歴代天皇に会うことができたならば、やっぱり失望を感じるだろうと思う。

 そんなね、昔の天皇がね、あなたを見て「自分が口をきいてもいい人間」とみなすと思いますか?

 「下民」とみなして差別心を隠そうともしないのが自然だとは思いませんか?

 まさか“民はわが宝。二人の間に分け隔てはない”なんて言ってくれると思ってますか?

 かつて「期待される人間像」というのがあったが、どうせ昔の天皇も、現代の人間にとっての「期待される天皇像」を満たしてくれることはほぼあり得ない。

(またついでに言えば現天皇も、右翼やガチガチの保守主義者が期待するような思想・心情を持ってはいまい――

 現天皇はどちらかと言えば「左翼的」な考えを持っているのではないかとは、よく取り沙汰されていることである。)


 たとえ「イイ話」である教育勅語で教育を受けようと、ロクデナシはやっぱりロクデナシである。

教育勅語で教育しようとしている籠池夫妻がまさにそうである、とまでは、まだ言うまい。)

 そしてその割合は、おそらく戦後教育を受けた世代と同じか、あるいは高いくらいなのである。

 そういえば教育勅語があれば、軍人勅諭というのもあるのだが――

 あなたはそれを朗読していた旧日本軍に、本当に入隊・入営したいと思いますか?

 いくら旧日本軍を美化したいと思ったところで、そういう動機を持つくらいの人間であれば、旧軍でどんなイジメ(特に新兵イジメ)が行われていたか少しくらいは聞いたことがあるはずだ。

 忠君愛国を謳おうが軍人勅諭で教育しようが、旧日本軍が清く正しく健やかな軍隊であったわけではない。

 現代に生きるあなたが「ぜひ入りたい」と願うような軍隊であったわけではない。

 
 しかしまぁどうしてこうも、教育勅語愛国心が大事だと主張する人間は、こんなのばっか(に見える)のだろうか。

 真の愛国者保守主義者たちは、一連の騒ぎ(と、森友学園・理事長夫妻)に対して血涙を流して然るべきである。

 しょせん教育勅語なんかを大事だと主張する奴は、この程度の奴ばかり――

 多くの国民は、またしてもそんな感想を新たにすることになってしまった。

 雑誌で言えば『正論』や『致知』なんかの保守系誌は、イメージ的に大打撃・大迷惑を被っているはずである。

 右翼の街宣車というのは、こういう事態には出動しないものなのだろうか?