プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

社会、ニュース、歴史、その他について日々思うことを書いていきます。【プロレス・格闘技編】はリンクからどうぞ。

日米首脳会談「台湾」明記-米の「太平洋防壁」は日本の宿命

 4月17日、菅首相が渡米してバイデン大統領と首脳会談した。

 その共同声明では1969年以来初めて「台湾」という言葉が明記された。

 正確には「日米両国は、台湾海峡の平和と安定の重要性を強調するとともに、両岸問題の平和的解決を促す」
 
 という表現である。

 これについて台湾は「歓迎と感謝の意を表する」、

 中国は「強烈な不満と断固反対を表明する」と反応した。

(⇒ 日テレNews24 2021年4月17日記事:日米首脳ハンバーガー会談舞台裏…台湾明記)

 もちろん、中国側が猛反発するのはわかりきった話である。

 ここで猛反発しなかったらいわゆる「男がすたる」になるのであって、中国の威信はガタ落ちになる。

 「台湾海峡の平和と安定の重要性を強調するとともに、両岸問題の平和的解決を促す」

 という(赤の他人には)当たり障りのない穏当な文章も、どうやったって台湾に言及する限り中国の逆鱗に触れることになる。


 しかし、それはそれとして――

 日本にとって気になるのは、この日本という国が冷戦時代から相も変わらずアメリカの「太平洋防壁」であり続けていることである。

 ついでに言えば、上記引用記事によると、アメリカ政府内では

「日本はズルい。中国と経済的に良好な関係を取りたがってて、それでいて尖閣諸島とかをアメリカとの同盟で守ってもらおうとしている」

 という声も強いらしい。

 これは冷戦時代の「安保タダ乗り論」と全く同じ図式であって、区別も何も付きはしない。

 しかしこれもまた、中国が他国が「台湾」と言っただけで逆上コメントを出すのと同じく、

 日本がアメリカと同盟している限り、避けられない宿命なのだろう。

 
 冷戦時代の日本は、ソ連に対するアメリカの太平洋防壁だった。

 今の日本は、中国に対するアメリカの太平洋防壁である。

 韓国もまたそうなのだが、しかし韓国はもしかしたら――と言うより「歴史的に見れば」と言った方がいいか――、中国の側に付くかもしれない。

 もし朝鮮半島が、北朝鮮崩壊にせよ北朝鮮主導にせよ統一されたら……

 それはもう歴史的に見れば、朝鮮半島が中国に属したがる傾向はかなりはっきりしている。

(百パーセントそうだ、とは言い切れないが)


 アメリカはかつてベトナムを(共産主義に対して)失ったように、

 今度は朝鮮半島を(中華帝国に対して)失うかもしれない。

 そう考えると日本は(と言うより日本列島は)、アメリカにとって絶対失えない防壁である。

 もしこれを失えば、次の防壁はフィリピンになってしまう。

 それはアメリカが、アジアから完全に追い落とされることになる。

 その意味で日本の太平洋防壁としての役割は、ますます重要になっていく。

(万が一「台湾有事」ということになれば、なおさらである。)


 反面中国にとってみれば、日本は相も変わらず腹面に突き刺さったトゲであり、宿敵である。

 もし何か奇跡が起こって日本が中国の側に付けば、中国は安心して東南アジアなんかに勢力を伸ばすことができるだろう。

 だが日本には、当面中国に付く可能性はない。

 そしてまた日本には、かつてのように独自で武力を行使する可能性もない。

 となると日本は当分、アメリカの太平洋防壁の役割を果たすしか道はないようである。

 たぶんアメリカと同盟している限り、日本は永遠に「ユーラシア大陸国に対する太平洋防壁」であり続けるしかないだろう。

 

「長文は罪」の時代-小室圭氏の全28枚反論文書公表

 4月8日、眞子様との結婚問題で揺れ続ける小室圭 氏が、ついに文書による反論を公表した。

 その全文は、次のとおり。

(⇒ 東京新聞 2021年4月8日記事)



 私はこの問題にそこまで興味があるわけではないので、精読はしていない。

 むしろ興味があるのは、これに対する国民の反応の方である。

 もはや小室氏については、「公認公許のイジメ対象」「正義の袋叩き」状態になっているのは周知のとおり。

 だから小室氏が何をやろうが何を書こうが、大多数の国民は「読みもせずに」ボロクソ言うに違いないことは誰にだって予想できた。

 そして案の定、ネット上の反応で多いのは

「こんな長文、誰が読むんだ」

「こんな長文を書くのは、グダグダ言い訳を並べてる証拠」

 みたいな書き込みである。

 
 別に、小室氏を弁護するわけではないが――

 このペーパー28枚に及ぶ長文ではなく、もっと短い文書であったとしても、どうせ小室氏は叩かれていたに違いない。

「こんなツイッターみたいな短文なんて、バカにしてる」

「原稿用紙5枚ぽっちの内容しか書けないのか。それでも弁護士になろうってのか」

 とか、速攻で書き込まれるに違いないのだ。

 もちろん記者会見なんかして「自分の言葉で語った」としても同様で――

 それはむしろ文書で語るより、はるかに危険極まる賭けである。

 だから文書でアピールするというのは、客観的に見て賢明なことだ。

(あなただって、たとえどんなに自分が正しくとも、会見では「どもる」「詰まる」「噛む」なんて状態になるのは自分でわかっているだろう。) 

 
 確かにこの文書には、一目見て欠点がある。それは

「もっと改行を多くできなかったのか」

「字間もちょっと読みにくい」(まるでガリ版印刷のようだ)

 というレイアウト上の欠点である。

 そしてもう一つ、まず「概要」を頭に持ってくるのはいいとして……

 しかし「注釈」を付ける(しかもかなり分量が多い)というのは、やはり大きな欠点だろうと思う。

 いかにも「法律書や学術論文を読みすぎた」、「それにモロに感化された」、「衒学的な雰囲気」を醸し出してしまっているではないか?

 (そして私はこの、「本文の後に付された注釈」というのが嫌いなのである。これこそ読む気にならないのである。

  いちいちページを行き来して読むのが面倒だから……

  本文と同じページに注釈があるなら、それは読むのだが。)


 だがそれはそれとして、問題は「長文であること自体を批判する」ということだろう。

 私は別に、長文であるからダメだとは全く思わない。

 これほど国民的な問題になった、事情もかなり入り組んでいるだろう話を短文で説明するというのは、それはできない相談に違いない。

 しかし現実に、多くの国民は、長文であること自体が気に食わないのだ。

 いや、この「長文は悪」というのは、いまやビジネス界でも「道徳・マナー」として完全に定着しているのではあるまいか。

 「長文を書く奴は無能」とまで、真剣に思われているのではあるまいか。

 しかしどうもこれ、戦後からずっと言われ続けてきた「国民の読解力の低下」「国語力の低下」の行き着いた先ではないかと思われる。

 多くの日本人はもう、「長文アレルギー」になっている。

 そのアレルギーはもはや「深刻な病」ではなく、「正しい道徳」に変化した。

 長文であるだけで読む気を失い、だから長文は悪なのだと感じることが正義となった。

 1年に1冊も本を読まない若者がとても大きな割合を占めているというのも、当然のことではあるまいか。

 そして長文を読めない(読む気にならない)ということは、長文を書けない(書く気にならない、というのは即ち能力的にも書けないということである)ということとイコールだろう。


 私はむしろ、(レイアウトはともかく)28枚も書いて公表した小室氏を、その点では評価するものである。

 少なくとも彼には、それだけの分量を書く材料と「言いたいこと、言えること」があったわけである。

 となると次は当然、彼の母親の元婚約者の長文の公表を待ちたいものだ。

 それを読み比べてみて初めて、両陣営の黒白が付く。

(いや、「黒白」という言葉も今では差別的か?)


 「長文は読む気にならない」と言っていたのでは、それこそ感情のまま誰かを叩くネット愚民と同じではないか? 

 

北朝鮮にも理性あり-東京オリンピック(どころじゃなく)不参加

 4月6日、北朝鮮は、7月開催の東京オリンピックに参加しないことを宣言した。

 もちろん新型コロナウイルスから自国選手を(そして自国自体を)守るため、というのが理由である。

 これについて波紋が広がっているのかもしれないが、大半の人は「そりゃそうだろう」と、別に普通のこととして受け止めたのではなかろうか。

 北朝鮮は、世界の中でも「オリンピックどころじゃない」国々の筆頭格である。

 いや、たとえコロナがなかったとしても、ここ数年(数十年?)ずっとずっと国民生活の困窮ぶりが報じられてきた国である。

 ハッキリ言えば普段から、オリンピックなんかにうつつを抜かしてる場合の国じゃないのだ。


 だから今回に限っては北朝鮮は理性的な判断をした、と高評価する人の方がむしろ多いような気がする。

 そしてまた、こうした判断をするのは北朝鮮に限ったわけではないだろう、と思う人も多いはずだ。

 特に医療体制の脆弱な途上国なんかは、やっぱりわざわざ外国に選手(そしてスタッフ)を送り出してその帰国を受け入れるなんてリスクを冒すよりは、最初から参加しない方がずっとマシだと考えるのが普通である。

 しかしとにもかくにも、東京オリンピックは断固として開催される。

 なんだか、オリンピックの試合や記録がどうとか言うよりも――

 不参加国がどれだけ出るのか、

 「無観客オリンピック」とはどんなものなのか、

 メディアはそれをどう盛り上げるのか、

 そしてオリンピックをやったせいで,本当に感染が増えたり拡大してしまうのか……

 そんなことの方がはるかに注目を集める、空前のエクストリームなオリンピックになりそうではないか。