プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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「学術会議は聖域を守りたい特権階級」とますます思われるだろう

 日本学術会議が新会員に推薦した学者6名を、菅政権が任命しなかった問題で、主に学者の間で抗議・批判が広まっている。

 10月14日には「安全保障関連法に反対する学者の会」が記者会見し、これは「学問に対する冒涜行為」だと抗議する声明を発表した。 

 またテレビでは、「羽鳥慎一モーニングショー」で、テレビ朝日コメンテーターの玉川 徹 氏が――


●政府の姿勢として、アカデミアに対する尊敬の念は、この日本には絶対に必要だと思う

●学術会議をなくせばいいとか、民間法人にすればいいとか言っている人たちに、果たしてアカデミアに対する尊敬があるんだろうか。

 ここの尊敬なくしてこの日本はやっていけません。


 と訴えたとのこと。

hochi.news



 さて、皆さんは、これらの意見・声明に対し、どう思われるだろう。

 おそらくこれらを聞いた国民の過半数は、


「学術会議というのは、学者というのは、そんなに聖域なのか。特別なのか。

 やっぱり聖域を守ろうとする特権階級じゃないのか」


 と感じるだろうと思う。

 それが草の根の庶民の、無告の民の、率直な感想ではなかろうか。

 
 これについては先日のブログでも書いたので、繰り返しになるが……

tairanaritoshi-2.hatenablog.com

 


 学者団体が推薦した学者を、政府が政府機関(独立機関、ということになるらしい)の一員として任命しない――

 そのことが「学問の冒涜」であり「尊敬の念の欠如」だとするのは、普通の人の耳には

「学問を冒涜するのでなければ、尊敬の念がないと思われたくなければ、学者の推薦するとおり任命すべし」

 としか聞こえない。

 つまりこれは、

「誠意を示せ、すなわちカネを払え論法」

 の同類である。

 これは世間一般では、「圧力団体論法」「ヤクザ論法」「因縁論法」「悪質クレーマー論法」と認知されている。


 だから「意外にも」、少なくともネット上では学術会議の方を批判する声の方が優勢だ、というのは、きっと不思議なことではない。

 やっぱりこれは、政治的中立を謳っていながら政府に任命されなければ騒ぐ、というスキーム自体に無理があるとしか言いようがなかろう。

 
 ちなみに私には、学者だから大学教授だから「尊敬する」なんて感覚はない。

 大学教授は「勉強のできる一般人」、「学を積んだ一般人」である。

 この世の人は皆「一般人」であり、アレクサンドロス大王チンギス・ハーンでさえ「戦争の上手い一般人」に他ならない。

 別に大学教授だから「推薦があったら必ず任命すべき」とか、

 そうでなかったら尊敬の念がないとか学問を軽視しているなどとは思わない。(思えない。)


 しかしそういうことは別にしても、やっぱり学術会議というのは堂々と「野に下る」のが一番スッキリしているだろう。

 繰り返しになるが経団連だってそうであるし、別に経団連の推薦する人物を政府委員に任命しなくたって、政府が経済を軽視していることにはならないはずだ。

 そもそも、政治的に独立している自負のある学者だったら、人間だったら――

 ちょっとでも「政府の禄を食む」ような立場になるのは、積極的に拒否したいところではなかろうか。

 

「家で乱交パーティ」は罪なのか-警察力のムダ遣いについて

 これは1年に1回くらい見るのであるが――

 またまた「自宅で乱交パーティを催した」容疑で、62歳男性が逮捕された。

 その参加者である30代から60代の男女7人もまた、公然わいせつ罪で逮捕された。

 主催者が公然わいせつ罪に加え売春防止法違反の罪でもあるのは、男性から1人15,000円を徴収し、

 (たぶんそれを原資に)女性に報酬を支払っていたからである。

 これは売春の周旋に当たるのだという。
 
(⇒ 産経WEST 2020年10月4日記事:自宅で「乱交パーティー」開催 容疑で男らを逮捕 大阪)

 さて、いつもいつも思うのであるが――

 この乱交パーティというのは、犯罪と呼ぶに値するのだろうか。
 
 このことについては以前もブログに書いたのだが、私にはこれが、取り締まるに値する・防止するに値する犯罪だとは、全然思えないのである。

 だいたい「家の中(主催者の自宅)」でやっているのだから、そもそも「公然」わいせつではないではないか?

 

tairanaritoshi-2.hatenablog.com


 言うまでもないが、全然関係ない人を拉致同然に連れてきて乱交パーティに参加させるのは、疑う余地もなく犯罪である。

 しかし同好の士が集まって、

 完全同意の上で乱交パーティを催すというのは、

 いったいどこがどう罪なのか、

 むしろ理解に苦しむ人の方が多いのではないか。 

 そして、男性から15,000円を徴収してそれを元手に女性にカネを払うというのは――

 男女平等の立場からは別として、さして非常識とも言えないだろう。

(むしろこう言っては何だが、良心的な値段の「会費」である。
 
 これを売春と呼ぶのは、非常にこじつけの感がある。)


 正直なところあなたは、この人たちを「けしからん」「罰するべきだ」と本心から感じるだろうか。

 おそらく90%以上の人は、ニヤッと苦笑したくなる程度が関の山ではあるまいか。

 私はむろん、この8人のことを全く知らないが――

 べつだん彼ら彼女らは犯罪的な人格でもなく、むしろ市井の善良なる市民だという可能性の方が大きいと思う。

 それはもちろん人より性欲が強いのは確かだが、だからって犯罪者傾向があると決めつけるのはいくら何でも無茶である。


 例の「女性器裁判」でもそうであるが……

 性の力というのは、決してあなどってはならないものだ。

 もしかしたらそれは、

「生け花なんかの世界でさえ、トップ中のトップ(とされる人)はいつもみんな男」

 なのはなぜか、という疑問の答えでさえあるかもしれない。

 

tairanaritoshi-2.hatenablog.com


 しかし一方、どうも「性」というのは、過大評価されている側面もある。

 女性器ごときをモロに見せたからと言って、我々の社会は壊乱しない。

 全員同意の上での乱交パーティを室内で開催したからと言って、世が堕落することはない。

 むしろこんなものの摘発に貴重な警察力が割かれていることに、善良な市民は怒るべきではないか。

 もっとも今回の乱交パーティ――

 盛り上がりすぎて叫び声が外に漏れ聞こえ、

 それが近所に迷惑をかけているから警察に情報提供されてしまった、

 というのなら、逮捕されても仕方ないとは思うが。

日本学術会議と経団連-「政府に任命される」から批判される、しかし一度始めたらやめられない

 10月1日、菅首相は、「日本学術会議」が推薦した同会議の会員候補者105名のうち、6名の任命を拒否した。

 その6名は、安倍政権時代の安保法制に反対したメンバーだという。

 それについて「学問の自由を侵すもの」と猛反発が起こる一方――

 この日本学術会議とは何なんだ、という反発も盛んである。

 かくいう私も、日本学術会議というものがあるのは知っていても(と言うより、いかにもそんな組織はありそうなので、「聞いた覚えがある」とした方が良いかもしれない)……

 その会員が政府(総理大臣)に任命されるものであるとか、

 210名もの大勢が任命されているとか、

 今回の件があるまで全く知らなかった。


 さて、日本学術会議とは内閣府に属するものの、「政府とは独立した特別機関」らしい。

 また、総理大臣による任命というのは「全く形式的なもの」であり――

 会議自身が推薦した者をそのままそっくり形式的に任命するのが「本当」であり従来の慣例でもあり、

 そうしなかった今回の措置は「違法」(じゃないか)とまで言われている。

(⇒ ヤフーニュース 2020年10月1日記事:菅総理による日本学術会議の委員の任命拒絶は違法の可能性)


 しかしもちろん今の御時世、「ある団体が推薦した者が、そのまま政府に任命される。そうでなければ違法」なんて話は、

「特権階級」

既得権益

「何様なんだ」

 という反応を引き起こさずにいるわけがない。

 ここですぐ(誰でも?)思いつくのが、「経団連」(日本経済団体連合会)という存在である。

 いくら何でも経団連の名を聞いたこともない人は、日本にはあまりいないはずだ。

 そこでもし、経済産業省の特別機関として「日本経済会議」という特別機関があり――

 そのメンバーは、経団連の推薦する者がそのまま政府に任命される、そうでなければ違法、なんて話があったら、やっぱりそれはおかしいと思われるのではあるまいか。


 経団連は今のままでも、政府に提言を行っているはずである。

 だったら日本学術会議というのも政府機関でなくてよく、民間有志の団体として政府に提言を行えばよい。

 なぜ、経済団体と学者とでは違うのか。

 学者はそんなにエラいのか――

 という風に国民が思うのも、それは無理からぬ話ではある。

 
 しかし、日本学術会議というのは、昭和24年(1949年)にできた歴史の古い団体(いや、政府機関か)である。

 これはもう、今の日本の「体制」の中にガッチリ組み込まれているのである。

 そして一般的な話として――

 政府や行政機関が一度始めてしまったものは、よほどのことでないとやめられない。

 もし日本学術会議という機関そのものを廃止しようとすれば、どんな蜂の巣をつついたような批判が巻き起こるか、誰でも想像できるだろう。

 田舎の町の「夏祭り」だって、いったん始めたらやめられはしないのである。

 もしやめられるとしたらそれは、今回のコロナ禍ほどの超巨大情勢変化が起こるしかない。

 
 もしかしたら日本学術会議というのは、昔の中国でいう「諫議大夫」のようなものかもしれない。

 わざわざ君主にとって耳の痛いことを言って諫言するのが職務、という政府機関の現代版なのかもしれない。

 それならば、政府の意向に反するようなことを言う人がメンバーにいても、おかしくないのかもしれない。

(そんな人がいるからと言って、そんな人ばかりでもないのだから……)


 しかしやっぱり、いかに形式的だろうと「政府に任命される」というのは、普通の人にとっては「やっぱり任命権は政府にあるんじゃないか、任命したくない人を任命しないのも、そりゃアリだろう」と思わせるには充分である。

 昔の諫議大夫だって、もちろん皇帝の臣下であったのは間違いないのだから。

 
 行政の世界では、いったん始めたことはまずやめられない。

 日本学術会議は半世紀以上続き、もはや日本の体制であり「世の中の当たり前の仕組み」である。

 なので、どうせできっこないことなのだが――

 日本学術会議は、政府とのつながりを断ち切って純粋な民間団体になった方がいいのではないか、と「提言」したい人は多いのではなかろうか。