プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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竹内結子もまた…芸能界の闇・自殺連鎖説への疑問と「共感過症候群」仮説

 9月27日、女優の竹内結子(40歳)が自宅で死亡していたこと、しかも自殺と見られることが報じられた。

 彼女は2005年に歌舞伎俳優・中村獅童(48歳)と結婚し、同年に長男を出産するが2008年に離婚。

 昨年2月には俳優・中林大樹(35歳)と再婚し、今年1月下旬には次男(第2子の男児)を出産したばかり。

 さらには自殺前日には、家族団らんで普通に話をしていたという。

 赤の他人の我々にも突然のニュースだが、家族・親族・知り合いにとっては、もっと突然で信じられない思いがすることだろう。

 
 さて、今年は「芸能人の自殺の連鎖」が続く年である。

 それはあの5月23日の「木村花事件」から始まり――

 7月18日には三浦春馬(30歳)、

 8月26日には濱崎麻莉亜(26歳)、

 9月14日には芦名星(36歳)、

 9月20日には藤木孝(80歳)、

 と堰を切ったように続いている。

 これを見て、「芸能界の闇」と思いたくなるのは、わからないではない。

 また、例の「自殺を大きく報じると、その影響を受けて自殺する人が増えるから、大きく報じるべきでない」とする説もまた、思い浮かべる人が多いのもわかる。

 (この「説」は、もはや「事実」であり「一般常識」になっているからだ。) 


 しかし私は、この「闇」なり「連鎖」というのは、錯覚ではないかと思う方である。

 自殺の原因なんて、あくまで千差万別な個別的なものであり――

 芸能界というものが何十年も続いてきている以上、

 こういう風に数ヶ月で何人もが自殺する時期というのも当然あっても不思議ではなく、

 むしろそれがずっと「ない」ことの方が不自然だと思うのである。


 だが、仮に「闇」なり「連鎖」なりが、現実に存在するのだとしよう。

 その正体・原因は何かと言えば、「感受性」「共感力」ではなかろうか。

 私には、「自殺の(特に有名人の)報道を聞いたら、自分も自殺したくなる」という心がわからない。

 それこそ「共感」できない。

 それはもちろん、私に共感力というものがないからだろうと思う。
 
 赤の他人が何をしようが何を言おうが、それを自分に重ねるという感性(習慣)がないのである。


 しかし世の中には、そうでなく共感力の高い人がゴマンといる、というのは察せられる。

 芸能人がツイッターで呟いたたった一行の言葉にさえ、

 何万もの「いいね!」が付くのが日常のことなのだから、

 そう察せられないわけがないではないか?

 おそらくその何万もの人の中には、

 確かに「有名人が自殺したと続けて聞けば、自分も自殺したくなる」ほど感受性や共感力の高い人が何十人かはいるだろう、

 と思うのである。

 そして芸能人(特に俳優系)ともなれば、まさにそういう「感受性・共感力の高い人」の存在確率が、一般社会より非常に高いのではなかろうか。

 これに反し、(この自殺連鎖の口火を切った)木村花がプロレスラーだったのに、

 (このコロナ禍で苦しみを舐めているはずの)プロレス界で自殺の連鎖が起こっていないのは――

 やはりプロレス界というのは、そう共感力が高い世界ではない、ということなのだろう。

 よく言われるように、プロレスラーは本質的には一匹狼であり個人事業主である。

 そんなに共感力が高かったら、たぶんやっていけない業界なのだろう。
 

 もし芸能界に「闇」とか「自殺の連鎖になる要因・温床」があるとすれば、

 それは「感受性・共感力」にある、と思われる。

 そして世の趨勢は、まさにその「感受性・共感力」が高いのが善、とする方向に動き続けている。

(だからネットニュースには、特にエンタメニュースには、やたら「****の発言・行為に共感(称賛)」なんてタイトルが多いのだろう。)

 
 となると、これからの日本は、ますます「人が自殺したと聞いたら自分も自殺する」社会になっていきそうである。