今年もイスラム圏では、動物を生け贄に捧げる「犠牲祭」が来た。
聖地メッカへの大巡礼(ハッジ)のフィナーレを飾る祭りである。
(⇒ AFPニュース:イスラム教の犠牲祭、いけにえにささげられる動物たち)
それを報じるニュースの記事や写真を見て、「野蛮」「残酷」だと感じる日本人は、かなり多いことだろう。
世界には他にも、動物(ほとんど全て哺乳類)を生け贄に捧げる儀式・祭りは多く――
その最大級のネパールでは、一度に20万頭が殺されたこともある。
さて、端的に聞くが、皆さんはこういうことを「止めるべきだ」「止めさせるべきだ」と思うだろうか。
いや、動物犠牲に限った話ではなく、世界各地で行われている/行われてきた次のことどもについてはどうだろうか。
●捕鯨
●女子性器切除(クリトリス切除)
●名誉殺人(勝手に男と恋に落ちた自分の娘を殺す、など)
●アイヌ民族の入れ墨
●肌の「美白」を褒める風習
●鳥葬(土葬でも火葬でもなく、遺体を鳥に食わせる)
●中国・韓国の犬食文化
●エジプトの猫食文化
以上のことを「野蛮」「残酷」「止めるべき」「止めさせるべき」と言ったり思ったりするのは、文化への干渉であり侵略であり、一言で言ってヘイトだとならないのだろうか。
もしかしたら多くの人は、「止めさせるべき」ではなく「止めるように持っていくべき」と思っているのかもしれないが……
それはやはり、自分や自分たちの道徳律を他人に押しつけようとする「現代ではダメとされている振る舞い」に当たりはしないだろうか。
今、アイヌの文化を継承しようと真剣に努力する人は多い。
しかしその人たちでさえ、「アイヌの女性は結婚したら唇の周りに入れ墨を入れる」という風習を復活しようなどとは、全く思っていないようである。
あれはアイヌ文化の核とは言わぬまでも、大事な部分ではあったはずである。
それを伝えたり復活させたりする動きが全くないということは、アイヌ人の意識も(この領域では)完全に和人化されてしまったとしか言いようがない。
これは文化侵略・文化破壊の完全な成功例だと思うのだが、皆さんはどうだろうか。
いや、それは時代の流れであって失われたのも仕方ないことだ――
そして正直言って、失われたからといってそんなに残念でもない――
と言うのなら、この世の全ての風習や伝統もそれに該当するだろう。
今の世は、アジア人キャラに白人声優を当てることさえ「文化盗用」だとか非難される状態である。
そんなとき、捕鯨や動物犠牲や犬食・猫食に対して非難したり反発したりするのは、許されることなのだろうか。
許されるか許されないかの基準は、一体どこにあるのか。