コロナ禍でテレワークがようやく広まりを見せたのと平行し、
日本の「ハンコ主義」「紙決裁」などが、もう何度目か厳しい批判に晒されている。
今どき「ハンコで」「紙で」「出頭・対面して」仕事を進めるなんてこと――
「もちろん」誰でも、遅れてると言うに決まっている。
しかし、内心はそうでもないだろう、というのがこのたびの記事の主題である。
つまり、実は日本人の過半数くらいは、
本当はハンコで紙で出頭・対面して仕事を進めることが「あるべき姿」だと思っているのではないか、
という疑問の提示である。
もっともこの件については、これまでもこのブログで複数回すでに書いてきている。
tairanaritoshi-2.hatenablog.com
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繰り返しを気にせずに言うと、とどのつまり日本では、
「決裁書類を紙で作って紙で持っていき、口頭で説明してからハンコをもらう」
というのが、単なる仕事の流れに留まらず、もはや確固たる「道徳」なのである。
単にメール(電子的手段の総称をこう言っておく)で流して決裁してくれというのは、
許しがたいほど無礼でカチンとくる、不道徳かつ反社会的かつ非常識な所業なのである。
あなたもこれには、ピンとくるのではないか。
そういう風に決裁を流したらたちまち怒るだろう人・不快に思うだろう人は、あなたの職場にウヨウヨいるのではないか。
そう、これはビジネスにおけるスキルだのスキームだのマナーだのという問題ではなく、人間の「道徳」という根源的な問題である。
そしてこの意味でいう「道徳的な人間」は、日本人の過半数くらいは占めているのではあるまいか。
ハンコ主義も紙決裁も対面主義も、根本的にはこのような道徳観に支えられている。
メディアではハンコ主義は批判の的だが、
実のところメディアに出ない草の根のサイレント・マジョリティは、ハンコ主義ほかを精神的に支持している(捨てられない)可能性が多分にある。
だから、もし本気でハンコ主義ほかを廃したいなら――
それにはハンコ主義ほかを「遅れた封建土人道徳」と決めつけ、
バカにし、
そんなことだから世界との競争に負けてしまう「国賊」行為である、
とする風潮を広めるしかないのだろう。