プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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外出制限でDV増-「民衆は健気で虐げられる尊い人たち」史観のウソ

 新型コロナの世界的蔓延により、世界中で外出制限がかかっている。

 当然「自宅待機」が強制・推奨されているわけだが――

 それが原因で、世界中で家族内暴力(DV。ドメスティック・バイオレンス)が急増しているらしい。

 国連までもが対策を求め、この事情は日本でも同じのようだ。

(⇒ NHKワールドウオッチング 2020年4月13日記事:新型コロナ 外出制限長期化でDV増加)

(⇒ FNNPRIMEニュース 2020年4月14日記事:外出自粛による「コロナDV」増加に政府危機感 加害者と同じ屋根の下…問われる対策とは)

 
 このことは、もはや時代は、「久しぶりに家族一緒にいる時間が長く持てて、これだけは良かった」なんて言えるような時代じゃない、ということを示している。

 同時に、世界にはいかにクズでロクデナシの人間が多いか、いかにそこら辺に(密かに)はびこっているかを、誰が何と言おうと明確に示している。

 控えめに言ったとしても、人間とはいかに(特に自制心が)弱い存在か、を示している。

 ある古代ギリシャの哲学者は、壁に何かイイコトを書いてくれと言われて「たいていの人間は、悪い」と書いたそうだが、全くそのとおりと思わざるを得ないニュースである。


 さて、哲学者つながりというわけではないが、このことをちょっと哲学的に考えてみよう。

 むかし共産主義が言っていたような「人民史観」は、現代の日本では廃れた。

 しかしそれとほとんど同じ「民衆史観・庶民史観」は、むしろ大多数の人間が共感している。
 
 すなわち――

 民衆や庶民は、ほとんどいつも政府・為政者に虐げられたりシワ寄せをされたりしながら、

 それでも懸命に善良に生きている人たちだ、

 だから「イイ人」たちなんだ、こっちの方が正しいんだ、尊いんだ、

 というような見方である。


 これはむろん、王様や貴族や指導者たちは神聖で尊いんだ、というのを単に裏返しにしただけである。 

 すなわちどちらも、「ヒーロー・ヒロイン史観」とも言うべきものの同類である。

 どうも人間は本能的な衝動として、誰かを尊敬したい・称賛したい・仰ぎ見たいという願望を持っているようだ。

 たぶん極道のヤクザでさえ、立派な親分や上役に「心服したい」という願望を持っているのではなかろうか。


 さて、世にはびこるDV加害者たちは、むろんほぼ全員が「庶民」である。

 たぶん中には、ツイッターフェイスブックをやっている人も多かろう。

 そのロクデナシのクズも、たまには一つくらいイイコトを言ったり、ツイートしたりすることは当然あろう。

 それだからと言って、その人を「称賛」したり「尊敬」したりするのがいかにバカげたことか、誰にでもすぐわかる。
 
 それなのに時代は、誰かが(ただし有名人の場合だが)ちょっと何か言えば、たちまち「称賛の嵐」になったり「共感の嵐」になったりする。

 ひどいときはそれが「尊敬すべき人」に直結・飛躍したりする。

 有名人だろうと庶民だろうと、その中にはロクデナシがたくさん紛れ込んでいるとわかっていながら――

 そのロクデナシも人前ではイイコトを言う(ことがある)、とわかっていながら、なおそんななのである。


 外ヅラはいいが家庭内では暴君、というような人は、この世にたぶん掃いて捨てるほどいる。

 そういう人が相当数混じっているのが、人民であり民衆であり庶民である。

 それを十把一絡げに「健気で」「一生懸命に生きて」「政治にシワ寄せさせられる」「正義の存在」とみなすのは、

 そういう風にとにかく誰かをみなしたいのが、人間の本能だからだろう。

 しかし当然、本能だから正しいわけではないのである。

 この本能を克服して真の個人主義に移行しなければ、見当外れの人間を尊敬したりイイ人と見なす過ちは――

 そしてDVなんていうこと自体も、人間界から消えることがないだろう。