プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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安倍首相「責任を取ればいいわけではない」発言-日本人に「責任」は禁句である

 安倍首相が4月7日に緊急事態宣言を出した会見での、記者との質疑の際に――

 在日イタリア人記者から

「世界はほとんどロックダウンしています。安倍首相の対策は一か八かの賭けに見えます」

「失敗したらどういう風に責任を取りますか?」

 と質問され、

「例えば最悪の事態になった場合、私が責任を取ればいいというわけではありません」

 と答えたということで、批判が殺到しているそうだ。
 
(⇒ 女性自身 2020年4月8日記事:安倍首相「責任を取ればいいわけではない」発言に非難殺到)

 
 なるほど、もともと安倍首相嫌いの人にとっては格好の餌食である。

 それに対してアメリカ・ニューヨーク州の(評価急上昇中らしい)クオモ知事が、コロナ対策の「責任は私にあります」と言っていることが賞賛され、「日本の政治家ども」と対比されるのもむべなるかなである。

 しかし、素朴に思うのだが――

 まず「失敗」とは、どの程度を失敗と言うのだろうか。

 感染者数が何万人を超えたら失敗で、超えなかったら成功だという基準があるのだろうか。

 いやいや、そんなものは事前に「決める」のではなく世間の雰囲気に「決められる」のであって、そんなことについて責任を取りますなんて、オチオチ言ってられないのが当たり前だ。

(この点、安倍首相も反問しても良かったのではなかろうか。)


 次に「責任を取る」とは、どういうことを言うのだろうか。

 それは、総理大臣を辞めるということか。国会議員も辞めるということか。自民党も離党して政界から引退するということか。

 まさかとは思うが、自殺するということだろうか。

 思うに、かのクオモ知事も、「失敗したら責任を取ります」とは言っても、「責任を取るとは知事を辞めるということです」とすら言っていないのではないか。

 そしてもし総理大臣を辞めたら辞めたで、「それで責任を取ったつもりか」「途中で投げ出しやがって」と叩かれるのは目に見えている。

 それがわかっているのだから、「失敗したら辞めます」と凜として宣言するのもアホらしいではないか。


 そしてもう一つ、外国はいざ知らず――

 この日本において「責任」とは、万人にとっての「悪魔のワード」であることが挙げられる。

 あなたも含め、現代日本人が最もなりたくないものを一つ挙げれば、それは「責任者」というやつである。

 安倍首相の責任を云々するあなたにしても、職場でお客様なんかに「責任取れ」「どうやって責任取る?」と言われたとき、

 本当に「私が責任を取ります」「責任を取るとは会社を辞めるということです」「私の自腹で補償するということです」

 なんてカッコ良く言えるだろうか。

 いや、絶対に言えはしない――と断言するのは、あなたを見損なっているということになるだろうか。


 だからおそらく、日本人に向かって「責任」を云々するのは、愚問であり徒労であり禁句なのである。

 かつてアメリカのルーズヴェルトは、日本の真珠湾奇襲があっても大統領を辞めなかったし、(たぶん)辞めろという声も出なかった。

 しかし今の日本で大統領であったなら、間違いなく辞めろと大規模に言われていたろう。

 現代の安倍首相も昔のルーズヴェルト大統領も、

 そしてコロナ感染を大拡大させてしまった欧米の首相や大統領たちも、みんな辞めて「責任」というやつを取るべきなのだろうか……