12月17日、世界経済フォーラム(WEF)が「グローバル・ジェンダー・ギャップ指数」2019年版を発表した。
これは男女間の格差の大きさを国別に比較したものだが――
日本は153ヵ国中121位(2018年は110位)2017年の114位からさらに後退し、主要7カ国(いわゆるG7)では最低を飾った。
この指数は、経済・教育・健康・政治の4分野14項目の得点で決まる。
上記引用記事では、日本の順位が低いのは「政治」と「経済」分野の得点が低いからだと解説されている。
特に「政治」の分野で、女性議員が少ないことに力点を置いてインタビューがなされている。
私は、日本で議員になる女性が少ないのは、このインタビューで語られている以外に2つの大きな理由があると思う。
一つは、(女性議員が少ないのが悪いとするなら、)それは「国民が悪いから」というものだ。
これは簡単な話で、国民が女性候補に投票すれば女性議員の数と割合はもちろん増える。
そうならないのは、国民が女性候補に(充分に)投票しないからである。
他の何事でもそうだが、我々はこういう調査なり発表なりで「日本の順位が/指数が悪い」と聞いたら、それはたいていの場合「国民自身が全体的に悪いのだ」と思う癖を付けた方がよい。
別にこんなの、時の政権や政府(だけ)が悪いんじゃないのである。
時の政権や政府なんかに、そこまでの影響力はないのだと思うべきである。
(景気循環が生じるのは、時の政権のせいなんかではない。)
そしてもう一つは、「日本女性に、政治分野は不人気である」というものだ。
もしかしたら日本女性は、男性よりずっと政治なんかに関わりたくないのではないか。
そう考えるのは、至って自然な発想ではあるまいか。
たとえばマーケティングの分野などでは、普通にそういう結論になってしまうのではないか。
たとえば世界各国の「男女の編みもの愛好指数」というものを調査したら、それはもうほぼ全ての国で、男性の指数は女性のそれよりずっと低いだろう。
ひょっとして、日本で女性議員が少ないというのは、それと同じ類いの話なのかもしれない。
つまり、日本で女性議員や女性経営陣が少ないとかいうのは、要するに「嗜好の問題」である。
それは単に、「私はそんなことやりたくない」という日本女性の性向の表れである――
などと考えたら、女性の皆さんに怒られてしまうだろうか。
断っておくが、私は政治家になるのは男でも女でもどっちでもよいと思っている。むろん女性に投票したこともある。
その人間が男か女かなんて、政治や仕事や学問の分野では、全くどうでもいいことだとさえ思っている。
しかし逆に、人間の「嗜好」や「性向」は、どんな分野でも極めて大事だとも思う。
もし日本女性の多くが「私は政治なんてしたくないです、誰かに投票はするけれど」と思っているなら、
「自分自身が政治をしたい」という嗜好や志向を持っていないとするなら――
それはそれで仕方のないことだし、強いてそういう嗜好・志向を持てという筋合いもないと、あなたは思われないだろうか。