プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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経産省・性同一性障害職員の「女子トイレ使用制限は違法」判決-決戦?「女性の心情」vs「日本は遅れている」

 12月12日、体は男だが心は女という性同一性障害職員が「女子トイレの使用や人事異動を制限されるなどしたから処遇改善と損害賠償」を国に求めた裁判で――

 東京地裁は、国への敗訴判決(賠償金132万円の支払い)を下した。

www.huffingtonpost.jp


 この件について詳しいことなど私が知るわけはないが、しかしとても面白い論点があるとは思う。

 国側は、この職員に女子更衣室の利用や健康診断の女性枠での受診は認めていた。

 しかしそれは「性別適合手術を受けるまでの暫定措置」であり、別に完全なる女性職員として勤務を認めたわけではない、と主張したらしい。

 よってこの職員は、勤務フロアから2階以上離れた女子トイレを使用するよう指示された。(今もされている。)

 これが「女子トイレの使用制限」の内容である。

 その理由について国は、

「この職員が女性に性的な危害を加える危険性が、完全に払拭されていないこと」

「性暴力を心配する女性の心情に配慮することに、一定の合理性がある」

 とも主張したらしい。


 さてこの理由、読む人によっては、この職員を犯罪者予備軍と決めつける許されざる主張である。

 しかし一方、これが確かに「女性の心情に配慮」したものであることも、「一定の理解」はできるだろう。

 で、これが面白い論点なのだ。

 女性の心情に配慮することは、現代日本の圧倒的正義である。

 男性の心情に配慮すべきだというような主張は、メディア上ではほとんど目にすることがない。

 だがその逆は、ほとんど毎日のようにどこかのメディアが採り上げている。


 そして一方、「性同一障害者」「LGBT」に配慮することもまた、(女性への配慮ほどではないにしても)やはり現代日本における正義の旗印なのである。

 つまりこれ、よく本物の戦争がそうであると言われるように、まさしく「二つの正義の衝突」とは言えまいか。

 体は男で心は女、と主張する――しかし性転換手術は健康上の理由で受けていない――男性が、女性に対して覗きや性暴力を行う実例があることは、よく知られている。

 よって、経産省の女性職員がそういうことを心配する心情を持つことには、一定の根拠がある。

 ところがそんなことを言い出した日には、今度は性同一性障害LGBTの人たちへの差別・偏見になるのである。


 ここは一つ、経産省内の女性職員全員に「こういう性同一性障害の同僚が女性トイレを自由使用することに賛成か、どう思うか」という匿名アンケートをとるべきだと思うが……
 
 もしそれで「やっぱり心配」なんて選択肢にマルが付いたり自由記述欄に書かれようものなら、

 しかもその数が多かったりしたら――

 それはその女性たちの心情が、極めて偏見的・差別的で、「やっぱり日本は遅れている」ということになるのだろうか。

 
 思うに、この判決のニュースについては、スルーする女性やLGBTの人たちが多いのではないか。
 
 なぜなら、女性や性同一性障害者・LGBTのどちらかを批判すること、または批判的な立場になるということは、今の日本では危険極まるタブーだからである。

 人間誰しも、そんなことに足を踏み入れたくはないものである。

 
 そして最も懸念されるのは、世の会社や事業者が「やっぱり性同一性障害LGBTなんかは雇うまい」と普通に思うことだろう。

 それは、人として当然とも言える人情である。

 女性への配慮とLGBTへの配慮を天秤に掛けるとか調整するとか、そんな面倒臭いことは誰もやりたくないに決まっている。

 そうでなく、どちらか一方の側に立って正義の味方になることの方が、よっぽどラクで充実感と高揚感がある。

 はたしてこの件について、真正面から論じようとする人たちはどのくらいいるだろうか……