プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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新幹線殺傷犯「謝罪の気持ち一切ない」-日本で死刑廃止は無理である

 昨年6月に新幹線内で3人を殺傷した小島一朗被告(23歳)の裁判での言動が、ネットニュースに広く流れている。

 事件当初はこの人、「むしゃくしゃしてやった。誰でもよかった」などと決まり切ったテンプレート動機を言っていたので、

 てっきり凡百の衝動殺人犯の一人だろうと思ったものであった。

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 しかしどうしてどうして、裁判に入ってからは実に「興味深い」話が、本人の口から次から次へと出てくるのだ。

 それらを箇条書きにすると――

●「子どもの頃から刑務所に入るのが夢だった」

●「だから父や叔父に包丁や金槌を投げつけていた。万引きもやった。自殺願望もあった」

●(養母となっていた祖母に絶縁宣言されたと思い込んで)「餓死するくらいなら刑務所に入ろうと思った」

●「新幹線の2人席の通路側を選んだのは、窓際の人を確実に1人殺すことができるから」

●「3人殺すと死刑になるので、2人までにしようと思った」

●(凶行を止めに入った男性を、死んでも馬乗りで切りつけ続けたのは)「まだ生きていたから、構わずガンガンやった。見事に殺しきった」

●「捕まった今は刑務所には入れるから、自殺願望は全くない」

●「被害者や家族に謝罪の気持ちは全くない。謝罪したらせっかく無期懲役で刑務所にずっといられるのに、釈放されてしまうから」

●「でも死刑になるかもと聞かされ、すごく怯えている」


 ……いやはや、子どもの頃から「刑務所に入りたい」のが夢だという人間は、確かに実在するのだ。

 しかしこれも、さほど驚くべきことではないだろう。

 およそ男性の中には、奇妙奇天烈としか言いようのない性的嗜好を持っている人が、多種多様かつゴマンといるものである。

 その性癖の多様さにおいて、女性は男性の足元にも及ばないと思う。
 
 だからその派生として、刑務所に入りたいとか汚物溜めに入りたいとかいう願望を持つ人間がいても、ちっとも不思議なことではない。

 そしてまた、生まれながらにそういう願望を持つ(スイッチさえ入れば持ってしまう)人間は、絶対確実にこの世に生まれてくるものだ。

 人間が出産というものに何の人為的な介入もせず、自然に子どもが生まれるままにしておけば、こんな人間は必ず生まれてくる。

 つまり、この世の親の何人かは確実に、そういうハズレくじを引いてしまうということになる。

 いったい彼の親や養母となった祖母に、何の罪があってこんなハズレくじを引くのだろう。

 これは人生の不条理であり、それこそ文明発祥の時から今に至るまでずっと続く、ハズレくじに苦悩し絶望する人類規模の悲劇である。 

 
 ところで、日本における「死刑制度支持」の世論は実に根強い。

 死刑は人権侵害だから廃止する、なんて風潮がヨーロッパや世界を覆ってからもう数十年経つが、それでも日本人が死刑を支持する態度は小揺るぎもしない。

 それはひとえに、今回の事件のようなハズレくじ人間の言動のせいと言っても過言ではあるまい。

 しかも「3人殺せば死刑になるから2人までにしようと思った」などと犯人が言うに至っては、火に油を注ぐようなものである。


 確かに、「1人殺しただけでは死刑にならない」というのは、もはや国民的常識のようなものだ。

 だから、「人を殺したいが/刑務所に入りたいが、死刑にはなりたくない」なんて人間に、簡単に司法は見透かされてしまうのである。

(足元を見られている、とも言う。)


 さらに加えて、「(1人殺しただけでも)死刑になるかもしれないと思うと、すごく怯えている」なんて言っちゃうに至っては――

 やっぱり死刑制度は犯罪抑止に有効だ、と人々が感じるのは、全く無理もないことだろう。

 よって、どう考えても、日本における死刑廃止は当分見込みがないと言える。

 こればっかりは欧米や世界が何と言おうと、それこそ国連を脱退してでも、日本人は死刑制度を堅持するのではなかろうか。

 
 最後に――

 「1人殺しただけでは死刑にならない」という基準だが、これはもちろん法律に書いてあるわけでもない、ただ裁判所が勝手に(文書化せず、雰囲気だけで)決めている基準である。

 しかしそれは一種の「判例」「蓄積された前例」として、裁判(官)の世界では法律みたいなものとして受け止められているのだろう。

(もちろん、刑法のテキストや判例集に書かれることはない。)


 そこでこの、死刑を恐れる犯人からの挑戦である。

 彼が見透かしたとおり今回も1人しか殺してないから死刑にならない、無期懲役になるのなら、まさに犯人の思う壺だ。

 犯人はまさにパーフェクトゲームを成し遂げ、ウキウキで刑務所に行くことになる。

(とはいえ、夢がいざ現実になったら幻滅する、というのもよくある話だが……)


 それはさすがに、裁判所が舐められすぎだと誰もが(裁判官も)感じるだろう。  

 だからこれは、「前例」を破る一種のチャンスである。

 1人殺しても死刑になった、前例が覆された、となれば、それはそれは大ニュースになると思われる。

 今の日本の状況からすれば、そういう判決を下した裁判官の名は歴史に残り、裁判所の威権も高まる結果になるはずだ。

 それは近年稀に見る「明るいニュース」として、日本人に受け止められるはずである。

 前例を破る、というのは、今の日本ではおしなべて賞賛される。

 日本人はそういう「快挙」を、今か今かと待ち望んでいるのではなかろうか。