元アメリカ海兵隊員で名誉勲章の受章者であるダコタ・メイヤー氏が、世に氾濫する戦争ゲームについて、
●戦争を美化し、
●苦痛というものを当たり前とし娯楽化し、
●戦争というものを「こんなにクールなんだぞ」と美化している。
●殺人にクールなんてものはない。
と非難の声を上げたらしい。
さて、これはこのブログでも何度も書いてきた、日本における際立った法則――
「日本人がやるのは/言うのはダメだが、外国人がやったり言ったりするのは許される」
に当てはまりそうな事例である。
もしこれと全く同じことを日本人が、それも左翼関係者でなく元日本兵だった人が語ったとしても、たちまちのうちにネットイナゴに群がられ炎上してしまう――
(いや、その元日本兵がたちまち左翼だと認定されてしまう。)
あなたも私も、そんな予想がすぐに付くのではあるまいか。
しかし相手が外国人で、しかも名誉勲章の受章者となると、さすがに日本のイナゴもそんなには群がれないと思われる。
さて、日本において「ゲームの悪影響」を語ることは、もはやタブーの一つである。
そんなことを語ろうものなら、たちまちイナゴが群がってきてボロボロにされる。
「現実と空想の区別が付かないのはオマエだ」とか、単に「バカ」「アホ」とか、そんなコメントが延々と続くのは目に見えている。
だがしかし、本当に戦争ゲームには悪影響がないのだろうか。
確かに現代では、銃を持った自分キャラが人間の敵キャラを、派手にリアルに撃ち殺していくゲームが氾濫している。
それはイナゴらの言うように、あくまでゲーム世界の出来事であって――
プレイヤーのほとんどはその区別ができているから、現実にはほとんど影響を及ぼしていないというのが真実だろうか。
私は、そんなことはないだろうと思うものである。
ゲームに限らずおよそこの世で行われるあらゆる物事が、それに携わる人に何の影響も及ぼさないなんてことはない、と思うものである。
「撃ち殺し系戦争ゲーム」の好影響と言えば、たぶん「ストレス解消」「時間潰し」といったあたりになるだろう。
そして悪影響と言えば、それは確かに「戦争を面白いもの、カッコいいものと感じさせること」が挙げられてもおかしくない。
「戦争はこんなもん(だろう)」と思わせる効果、
「自分さえ苦痛を感じなければ、戦争はクールで面白い」と思わせる効果、
さらには「戦争はこういうゲームのようであるべきだ」と思わせる効果さえ、いかにも誰かの脳内で生じていそうである。
もしこれが飛躍だと言うのなら、少なくとも「戦争について、引いては世の中についてまで知ったげなニヒリスト」を作る効果はある、ぐらいは言えるのではないか?
何と言っても世の中には、影響されやすい人がゴマンといるのである。
ちょっと何かを見ただけでカブれたり感じたりイッちゃったりする人が、想像以上に多いのである。
だから現実とゲーム世界の区別を「付けたくない」人もまた、想像以上にいると見た方がよい。
さよう、そういう人間は必ずいる。
戦争ゲームが殺人愛好者をたくさん生み出す、とは言いすぎであっても、
「知ったげなニヒリスト」や「脳内だけランボー」を次々増産していないとは、断言しない方が賢明である。
現代日本のタブー、「ゲームの悪影響を語ること」――
実戦での勇敢さが実証されている戦争経験者・戦士による、このタブーへの挑戦に、イナゴたちは何を思うだろうか。