プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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グレタ・トゥーンベリやヴィーガンを笑う者は未来に負ける?-企業の「道徳リスク」

 国連本部で地球環境に関する「炎の大演説」をやった環境少女グレタ・トゥーンベリ(16歳)が――

 飛行機に乗ることは信条が許さないから(地球環境を汚すから)、飛行機に乗れないで母国スウェーデンに帰る手立てがなく困っているそうである。

(行きは、ヨットでアメリカまで渡ったらしい。)


 とはいえ、なんだかんだで何とかして帰国するには違いない。 

 私は意地が悪いのだろうが、こういう話を聞くと、「アメリカでの滞在費はどうやって賄っているのか、賄えるほど金持ちなのか」などと思わないことができない。

 彼女が演説したときの「ものすごく凶悪そうな顔」の写真も相まって、彼女を知る日本人の過半数は、「何だかヤバくて過激派みたいな少女」という印象を持ったのではなかろうか。

 確かに、何とはなしに「こども紅衛兵」みたいなイメージを持たれるのも仕方ないと思われる。

 そしてまた見た目の印象だけでなく、彼女の言っている話の内容自体が過激で現実離れしている、と思う人もたぶん過半数を超える。

 おそらく「環境に悪い飛行機には乗らないから、帰国する手立てがない」なんて聞けば、ほとんどの日本人は「バカかコイツ」などと嘲笑うはずである。

 
 そしてもう一つ、「意識高い系」環境運動家の他に「バカかコイツら」と大半の日本人に思われている存在と言えば、ヴィーガン菜食主義者だろう。

 ヴィーガンが肉屋やハンバーガー屋でデモ行動みたいなことをした、なんてニュースを聞けば、全くヘンな奴ら・困った奴らだと感じても無理はない。

 
 だが、しかし、である。

 私は、彼らが未来の勝利者となる可能性は決して低くはないと思う。

 現時点でさえ欧米では(特にヨーロッパでは)、飛行機に乗るのは(環境破壊に加担することだから)クールじゃない――

 なんて意識は、けっこうな広まりを見せているそうである。

 そして「生きた動物を殺して食べるのは残酷、反道徳的」なんて意識が全世界の人類に広がっていくのは、飛行機には乗らないなんて信念より、はるかに容易そうではないか?

 特に日本なんて、「生きた動物を殺す」のが悪だという意識は、ほぼ完全に国民の中に浸透している。

 何よりかつての日本人は、(よく知られているように)動物の肉を基本的には食わないできた。

 仏教による「殺生は悪」というテーゼ、神道による「穢れ」意識によって、肉食忌避の歴史は実に数百年も続いてきたのだ。

 むろんこれが、今でも続く被差別部落の問題にも密接に関係してもいる。

 
 現代日本人の大半は、確かに肉食を忌避していない。それどころか肉食が大好きである。

 だから、未来の日本人のほとんどがヴィーガンになるなんてことは全くあり得ないと思うかもしれない。

 だがしかし、その現代日本人でさえ、そもそもの「動物(特に哺乳類)を殺す役の人」に対しては、差別意識を持っているのではなかろうか。

 昔の日本人と依然同じく、そういう仕事は「穢れて」いると思ってはいまいか。


 言うまでもなく、こんな態度は矛盾している。

「自分は肉を喜んで食うけれど、その肉を供給する人は低く見る」

 なんていうのは、処刑されて然るべき昔の貴族みたいな態度である。

 そしてだからこそ、こういう態度は長く維持していられないのではあるまいか。

 
 思うにそのターニングポイントは、人工肉・合成肉・培養肉――と呼び方はいろいろあるが、「生きた動物を殺して作るのではない肉」が、味覚的にも生産コスト的にも及第に達したときである。

 そんな代替物があるのに従来の「天然肉」を食っている人間は、急速に世間から糾弾される側に回ると思われる。

 世間の雰囲気は、「飛行機に乗るのは環境破壊への加担者」とする以上に、「殺された生き物の肉を食うのは非道徳的」とするに決まっている。

 そうなれば従来型の食肉産業・畜産業は、「道徳的に」存続してはいられなくなる。

 まさに企業や事業者にとって、「レピュテーション(評判)・リスク」ならぬ「道徳リスク」である。
 
 そして最近は、「新しい服はできるだけ買わない」とするファッションボイコットさえ始まっているという。

(⇒ ワイアード 2019年9月25日記事:「52週間、新品の服は買わない」:地球と未来を優先する若者たちに拡がるファッションボイコット)

 

 こうした動きをひっくるめて「新興宗教みたい」とバカにするのは簡単だ。

 少数の「おかしな」連中がやっていること、こんなのが広まるわけがない、と反射的に感じるのはさらにたやすい。

 しかし、22世紀の日本人が――つまりあなたの子や孫が――、「生きた動物を殺した肉(天然肉)を食ってる奴なんて、おぞましいロクでもない奴」と考える可能性はとても高い。

 なんとなれば、日本人にはそんなことを思ってきた前科・前歴があるからである。

 少なくとも未来の日本人がそう考えるのは、今の日本人が「自分は動物の肉を食うけど、動物を殺すのは残酷」などと考えているのよりは首尾一貫している。


 そう、あなたが今「おかしな奴らが言ってること」と嗤っていることこそ、未来の世界ではスタンダードな道徳になっている可能性は常にある。

 飛行機に乗ること、動物の肉を食うこと、ファッションを追いかけて毎シーズン新しい服を買うことが――

 そう遠くない未来では、今でいうタバコを吸うことみたいな扱いになっていたって、何の不思議があるだろう。