不正疑惑で揺れ揺れの「剥いても剥いても疑惑が出てくる」タマネギ男ことチョ・グク氏を法務大臣に任命した。
ここ数日、日本のエンタメニュース番組でも、なぜかこの韓国の内政問題が大々的に報道されていたのはもちろん記憶に新しい。
それにしても、ある人物を指して「タマネギ男と報じられている」と連呼して報道するのは、マスコミ倫理的に問題はないのだろうか。
なんだか今どき、日本の政治家に対してもこんな蔑称を連呼することはないと思うのだが、しょせん外国の話だからいいのだろうか。
何となく、あの羽賀研二が「誠意大将軍」と渾名されたことをちょっと思い出してしまった。
もっともチョ氏の方も、「娘が受けた奨学金は、公的なものでなく娘の担当教授が個人的に出したもの」とか――
まるで土人国での話のような、にわかには信じがたい弁明をしているようである。
そして何より思うのは、もしこれが日本だったら……
いかに二人の仲が良い同志であっても(あるいは強烈な腐れ縁で繋がっていても)、やはりムン大統領はチョ氏の法相任命を断念しただろう、ということだ。
普通なら、こんなにも疑惑にまみれた存在を、わざわざ強いて取り立てようとは思わない。
それは日本では、ほとんど政治的自殺に等しい。(と、誰よりも当の本人らがビビリ上がる)
それなのにムン大統領がそうしなかったのは、何でも「自身の支持層である革新勢力の圧倒的大多数が、チョ氏の任命を支持している」かららしい。
では、その革新勢力は何で支持するかと言えば、それは「検察改革」が極めて重要だと捉えられているかららしい。
いったい、そんなにまでして改革したい韓国検察の現状とは、どんなにヒドいものなのだろうか……
私には全く知識がないのでわからないが、たぶん日本のテレビ局も、あんまりそんなこと解説したくはなさそうである。
そりゃそうだろう、日本人は検察改革なんてことに、ほとんど食指が動かないのだから。
それはともかく、私にもあなたにも、きっと見えていることがある。
あなたはおそらく、未来を霊視できている。
すなわちムン大統領もまた、韓国歴代大統領の伝統恒例行事である、「大統領辞任 ⇒ 逮捕 ⇒ 有罪判決」というコースに乗るだろうということを。
これはたぶん、ノストラダムスの予言詩を繰るまでもない未来図である。
あるいはもしかしたら、ムン大統領が「検察改革」をぜひともやりたいという真意は、まさにそういう連鎖コースを裁ち切りたいから、というものなのかもしれない。
だが、あなたが親韓だろうと嫌韓だろうと、ムン大統領がやっぱりそんなコースに乗るだろうというのは、だいたい意見が一致するのではあるまいか。