プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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N国党、比例1議席を獲得-「単機能政党」が衝く総合政党の不自然さ

 2019年7月21日の参議院選挙の結果は、結局のところ与党の自民党が勝ったのか負けたのかよくわからない人が多いのではなかろうか。

 そんなことより断然「面白い」のは、昔ならミニ政党・トンデモ政党・泡沫政党の扱いをされたに違いない

「れいわ新撰組」(2議席獲得)

NHKから国民を守る党(N国党)」(1議席獲得)

 の2党が、いかに少数とは言え議席をゲットしたことだろう。

 特にN国党が訴えるのは、NHKの改革(破壊)ただ一つである。

 たぶん多くの国民は、「いくらなんでもそれだけかよ」と思い、それで国会選挙に出るのはバカげて不自然だと思ったに違いない。

 N国党はあからさまに単機能政党であり、そんなのが雇用も福祉も外交もやらなくてはならない国会にふさわしいとは、直感的に思えないのだ。


 しかし、である。

 まさにそういう一点集中の「単機能政党」こそが、いま訴える力を持ち、ウケるのであり――

 むしろ「なんでもやります・考えます」という「総合政党」の方がウケが悪い、という時代になっているとも言えるのではないか?

 このことは、家電の世界にも現れているようだ。

gendai.ismedia.jp


 いや、私もほとんどの男性の例に漏れず、「多機能」という言葉にどうしようもなく惹かれる面があるのだが――

 そもそも昔から企業経営の世界では、いろんなことに手を出す「多角経営」は典型的な悪手であって、一つのことに集中するフォーカスこそが勝利への秘訣だ、などと言われてきたはずである。

(しかしそれでも、多角経営や異業種進出を志す企業は枚挙に暇ない。

 やっぱり「多機能」「多角」「全方位」などというイメージには、男心をくすぐる何かがあるのだろう。)


 ところで私は、昔から思ってきたのだが……

 個人にせよ政党にせよ、「何についてでも意見がある」というのは、もう根本的におかしいのではないか。 

 不自然と言えば、これほど不自然なことはないのではないか。

 国会議員という一人の人間が、この世のあらゆることについて何にでも意見があるとか、ましてや意見を持つべきだなどと考えるというのは、まるきりあり得ないことではないか?

 そこへ行くとN国党は初めから一つのことしか主張していないし、それで選挙を通っているのだから、NHKのこと以外について「意見を持つ必要がない」と言える。

 これは、明らかに強みである。


 もちろん「国会議員は世の中の何についてでも意見を持たなくちゃいけない、だってあらゆる分野の議案に賛否を投じなければならないのだから」という常識的な意見もあろうが……

 しかし、まさにそのことこそが――その議員が知りもしないし興味もないことについて、投票権があるということ自体が――おかしいのではないか、という「もう一つの常識」もあるはずである。

 私は、政党や国会議員というものが「何についても意見のある総合商社であるべき」論には与しない。

 別にN国党の主張に諸手を挙げて賛同するわけではないが、政党も国会議員も「単機能」でよいと思っている。

 なぜなら、何にでも意見や興味があるなどというのは、絶対に不自然で非現実的だからである。

 これは同時に、国会議員が「エラい先生」だなどというバカげた考えを否定することにも繋がる。

 国会議員は特定の単機能の専門家であり、国会はその個々人の集合体である――

 それこそが、はるかに自然な姿ではあるまいか。

 はるかに国民の意見がよく反映されるのではあるまいか。

 国会議員は「高い身分」などではなく、入れ替わり立ち替わる単機能の専門家の場であった方が良い。(特に参議院はそうだ)

 参議院は、ワンイシューを掲げるミニ政党・個人政党の乱立する場であって結構である。

 もちろんそれらは、役目を終えたら消えるだろう。

 そしてまた新しいイシューを持つ議員が生まれ、消え、それが延々と繰り返される。

 これこそが、機動的な国会というものである。