プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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「教育パパ」が息子を殺す-子どもは「くじ」だという悟りが人生を楽にする

 2016年8月に自宅で息子(小学6年生)の胸を包丁で刺して殺した父親の裁判が、いま行われている。

 父親は有名進学校の出身で、しかし大学には行かず今はトラック運転手。

 息子にも自分と同じ進学校に入ってほしいあまり受験勉強のことで息子に厳しくし、とうとう刺し殺してしまったらしい。

(⇒ FNN PRIME 2019年6月21日記事:「刺すって言ったはず」刃物を突きつける音声も…有名中学受験めぐり小6息子殺害の父親初公判)

 
 受験勉強しろとうるさく言ったあげく、結局その息子なり娘なりがグレてしまった、ねじ曲がってしまった――
 
 という話はいかにもありそうなことだし、実際に掃いて捨てるほどこの世に溢れているかもしれない。

 しかしさすがに包丁で刺すまで行くのは珍しい。

 結局、進学させるどころかこの世から消し去ってしまったのだから、本末転倒というかこの父親はバカの極みだと思う人は、それこそ溢れるほど多いだろう。

 だがこの話、「引きこもりは犯罪者になる」という話に匹敵するくらい、「予備軍」が多くいそうに思える。

 この手の教育パパは、日本人の父親の中で無視できない割合を占めていそうだ。


 思うに子育ては、難しいというより運任せである。

 このブログでも何度も書いてきたが、「子は親を選べない」が真なら「親も子を選べない」もまた真である。

 いくら英才の夫婦の間に生まれようと、将来バカや変質者、そこまでいかなくても凡々たる一般人になる子どもは必ずいる。

 それを調整することは、少なくとも今のところはできない。

 子どもがミミズをいじることを禁じるのが善と出るか邪と出るか、そんなのは全くの運任せである。

 自然に触れ合わせることが快活な性格を育むか、それとも将来の「猫屋敷」住人になることへの下慣らしなのか、

 アフリカの動物の良質ドキュメンタリーを見せることが将来の動物学者への布石なのか、それとも残虐バラバラ殺人への萌芽となるのか、

 そんなことなどを親が制御しきれるはずがない。

 
 身も蓋もないことを言うと、バカは生まれながらにバカ、えらいのは生まれながらにえらい。

 あなたの子どもも運が良ければ、勉強しろと言わなくても自発的に勉強するだろう。

 運が悪ければ、それはあなたがハズレくじの子を引いたことになる。

(もちろんこれは、子がよく勉強して進学校に行き、高レベルな大学を出て高収入な仕事に就かなきゃ人生じゃない、という価値観での話である。)


 それにしても、いつも思うのだが――

 確かに「進学校に行く&高レベルな大学を出る」のは、今の社会ではとても価値があるし実益もあると見なされている。

 だからわが子にそういう道を歩ませたい、そうじゃなければ生きる(生かす)価値もない、とまで思い詰めるのもわからないではないが、

 しかしあなたの子々孫々が、ずっと全員そういう「当たりくじ」に当たり続けるというのは、どんなバカでもあり得ないことと思うはずである。

 あなたの子孫には、どうせいつかはバカやゴクツブシや犯罪者や嫌われ者や凡才(これが最も多い)が生まれるだろう。

 子どもを発注しカスタマイズして作るのではなく、あくまで女の腹から生まれ出ることにこだわるなら、それは逃れられない宿命だ。


 要するに世の中、そして子どもは、なるようにしかならない。

 そしてまた、人の価値観は同じどころか、一人一人が違っている。もちろん、親と子の価値観や好みが違うのも当たり前すぎる話である。

 こんなことは本当は、誰でもが知っているはずの真理だろう。

 しかし「子どもはクジ」だと割り切れない場合、今回の事件みたいなことになるのだ。


 たぶん日本人の多くは、昔のようなある種の「脳天気さ」をなくしている。

 子どもは天からの授かり物でもあれば、クジなのだという感覚を失いつつある。

 わが子がクジなんかであってたまるか、運任せだなんて信じられるかという真面目さが、自分やわが子の人生を不要に苦しめているのではあるまいか。