川崎市の路上で女子児童らを包丁で襲い、自らも首を切って自殺した51歳の男とは、どんな人物なのか――
別にプロファイラーの手を借りなくとも、またこれから報道される知識が一切なくても、ほとんどの人は(ほとんど反射的に)その人物像を頭に思い描くことができるはずである。
その人物像とは、
「負け組」
かつ
「行き詰まり組」
というものだ。
加えて言うなら、彼がそんな「負け組かつ行き詰まり組」になってしまったのは――
「まともな会社なら誰も雇おうとしないようなロクでもない人間」だからだろう、ということになろうか。
かの映画『アメリカン・サイコ』ではあるまいし、一流企業のエリート高収入社員がこんなことをするというのはまずない。
負け組というだけなら、若い世代にもゴマンといるはずだが――
しかし加えてそれが51歳ともなると、「もう一生、この下流人生から抜け出せない」という行き詰まり感を覚えても全然おかしくない。
普通に働いている人だって、この年代になれば(会社での・社会での)自分の限界点というのがそろそろ見えてくるはずである。
その時点で負け組なら、ほぼ間違いなく一生負け組のまま(と自覚する)。
若い世代ならまだ未来に漠然とした希望をかけられるが、40代いや特に50代ともなると、「未来の希望」を抱けなくなってしまう。
となると誰でも思うとおり、これからの日本はそういう「負け組かつ行き詰まり組」がますます増える社会となる。
かの就職氷河期世代、つい最近「人生再設計第一世代」などと名付けられてしまった世代にはその予備軍が大勢いるということを、あなたもきっと予感しているはずである。
そしてその激発の標的が「上流階級」に向かうというのは、それはそれで一種の筋が通っている。
今回の襲撃犯がカリタス小学校という(よく知らないが)いかにも「上流家庭の子女」が通いそうな学校の児童を狙ったというのは、明らかにその流れのうちにあると思われる。
「この惨めな自分の人生、せめて上流の奴らを何人かでも殺してから終わらせてやる」
と決意するのは、確かに「理解できない」どころか、充分に我々の想像の範囲内にある心の動きだ。
今回の犯人、包丁4本を用意してそのうち2本を両手に持って襲撃に及んだ割には、残り2本はリュックに入れたままで――
スクールバスの運転手に「おい、何してる!」と叫ばれた途端に自分の首を刺したようだ。
たぶん数人を刺し終えたということで、「とにかく俺はやった」と瞬間的に「満足」してそうしたのだろうか。
この「上流階級&成功者に一矢報いる」という怨念そして復讐の念は、もちろん他の人間にはなくさせようもないものである。
よって対策はないのだが、もしあるとすれば――
それは「何事も自己責任」という観念を人々に植え付け普及させる、それにより「殺すのは自分自身だけ」にさせるという、何とも救いようのないものになってしまうだろうか……