プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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「何事も 斜めに見るのが 人の道」道徳が日本の転落を加速させる

 フェミニストとして有名な上野千鶴子東京大学名誉教授の東大入学式での祝辞が、反響を呼んでいる。

 それを受けて“コミュニケーション・ストラテジスト”(ホントに、何でも肩書きになるものである。まるでプロレス技のようで面白い)岡本純子氏が、次のような記事を書いている。

president.jp


 私もこの記事は、だいたい正しいのではないかと思う。

 しかし「日本人は冷たい」と言うよりは、「日本人は何事も斜めに見る」と言った方がいいのではないかと思う。

 それをヘタな川柳にすると、こうなる。


 何事も

 斜めに見るのが

 人の道

 
 これが今の日本人に共通の「道徳観」だというのは、そんなに外れていないと思う。

 大変失礼ながら、たぶんあなたも「斜めに見るのが人の道、そうでなければ知的じゃない」と思っているのではないだろうか。


 サムライTVテレビ埼玉などでは、「This week in WWE」という番組をやっている。

 世界最大のプロレス団体「WWE」の週間情報番組である。

 そこではとても頻繁に、WWEの社会貢献が紹介されている。

 障害者スポーツ支援や乳癌防止団体との提携、難病の子どもたち・軍人たちへの慰問などである。

 そういうのを見て平均的な日本人がイの一番に思うことは、やはり


「イメージアップ(に必死だな)」とか、

「はいはい売名行為」

「こんなこと放送するのがいやらしい」


 などということではないだろうか?

 これはもう、日本人の思考遺伝子に組み込まれているのかと思うほど強固に根付いた反射反応の域に達している。

 そういうのが良いこと・立派なこと・心温まること、と素直に受け止めるのは「単純な奴」のやること――

 そんなになるのは、そしてそんな風に思われるのは、自分という人間の沽券に関わるとでも反射的に感じるように、今の日本人はできているのではあるまいか。


 たぶんあなたも「寄付」と聞けば、真っ先に「税金対策」という言葉が思い浮かぶのではないかと思う。

 かくいう私も、恥ずかしながらそうである。


 しかしつらつら思うに、慈善活動や寄付といったことを常に全て「斜めに見る」のが道徳である国民は――

 きっと、そうでない国民よりも不幸だろう。

 それ以上に、そうでない国民に結局は「勝てない」のだろう。

 今の日本では、よその国や民族や文化をバカにするのはタブーである。

 その唯一の例外はアメリカだが、

 そして確かにアメリカは銃社会とかいろんな問題を抱えてはいるが、

 それでも日本ほど「何事も斜めに見るのが人の道」道徳は浸透していないように思う。

 アメリカは連続殺人鬼の一大産地ではあるが、その社会は病んでいるかもしれないが、

 しかし一方で善行や理想に身を捧げる人間もゴマンといるのである。

 このようである限り、たぶん日本は永遠にアメリカには勝てないだろう。

 
 もしかしたら今の日本は、「お利口な/小利口な」人間が「善行を心がける良心的な」人間に負ける、という、非常によくある教訓話の題材になっているのかもしれない。

 そもそも今の日本では、「善行」や「良心的」という言葉自体が、なんだか小馬鹿にするニュアンスを含んでいまいか。

 それはまあ、こういう国や国民が世界の頂点に立つわけはないし、立ってはいけないだろうというものだ。