ヒゲを禁じた内規に違反したとして旧市営地下鉄運転手の人事評価を最低ランクにした大阪市が、その運転手に訴えられて敗訴した。
大阪地裁に44万円の賠償命令を出されたとのこと。
(⇒ 読売新聞 2019年1月16日記事:ヒゲを理由に低い考課「違法」44万円賠償命令)
この判決についてはおそらく、世間の反応は批判的なものが多いと思う。
「いささかでも接客する仕事であれば、ヒゲを生やすのは不快感を与えるのだから当然剃るべき」
「ヒゲを生やして仕事するなんて社会人として非常識」
という意見なり感覚なりが、全体の8割くらいは行くのではないかと思うのである。
(まるでヒゲとは、イレズミと同列であるかのようだ。)
しかし私自身は、働く人がヒゲを生やしているからと言って別にどうとも思わない。
私自身はヒゲを生やしていないし、そもそもヒゲが生えること自体が人体エネルギーの無駄遣いだと思うのだ。
(人が生涯にヒゲ剃りにかける時間を集計すれば、ものすごい無駄時間になっていることだろう。)
だが、このニュースについてのネットの書き込みにあるように――
ヒゲを生やしている労働者を見たら「非常識」「不潔」「信頼できない」とほとんど反射的に感じるというのは、はっきり言って全く理解の外にある。
これもまた世の中に数限りなくある、「そう思うからそう思う」ことの一例ではないだろうか。
さて、なぜ私がヒゲを見ても特に感じることがないのか自己分析(と言うほどでもないが……)してみると、
それは「外国のドラマや映画をよく見ているから」ではないかと思う。
少なくとも海外のドラマや映画の中では、働く人が(接客業でも)ヒゲを生やしていることはごく普通である。
もちろん私は、それが普通だと思っている。何の違和感もひとかけらも感じはしない。
そして今回のニュースを聞いて「電車の運転手がヒゲを生やすなんて受け入れられない」とストレートに感じる人も、やっぱりそうなのではなかろうか。
この「外国人がやるのはいいが、日本人がやるのは許せない」という(日本人には非常によくある)感性は、いったい何なのだろう。
tairanaritoshi-2.hatenablog.com
こういう感覚は今の時代、どうしようもない民族主義であり同族主義と見なされかねないものである。
実際の話、外国で「ヒゲを生やしているから人事評価を下げる」内規を定める会社があるのかどうか……
こういうのが裁判で争われることがあるのかどうか、(海外事情はよく知らないが)とても怪しいものだと思う。
何となくだが、「ヒゲ禁止」の内規を定めてそれが国民に広く支持される国というのは、世界中でもごく珍しいのではないだろうか。
外国企業がこんな内規を定めたら、別に左翼でなくても人権問題だと大騒ぎするのが普通だと思う。
それはもしかしたら、日本人の「ガラパゴスケータイ」ならぬ「ガラパゴス感性」ではないかとも感じるのである。
(もし日本で働く外国人にヒゲ剃り内規を守るよう言えば、それこそ国際問題になりかねない。)
しかしおそらく長い目で見れば、外国人の流入なども相まって、「労働者がヒゲを生やすのは非常識、許せない」という感性は、この日本でも衰退していくのではないかと思われる。
たぶんそういう日本人は、若い世代から「時代遅れの古い連中」と見なされる日が来るのだろう。
とはいえ「外国人がやるのはいいが、日本人がやるのは許せない」という感性は、日本人の心の中によっぽど深く(本能のように)刻みつけられているようである。
やっぱり日本人の民族主義者ぶりは、今でもDNAレベルで世界第一級なのだろうか……