11月29日、またも韓国最高裁は元徴用工訴訟で日本企業(三菱重工業)に賠償を命じる判決を下した。
tairanaritoshi-2.hatenablog.com
日本人の大多数の間では、いよいよ韓国への怒りと呆れが湧き上がるに違いない。
これでもう、日本支配時代の韓国人個人への損害賠償が認められる、というのは(韓国内では)確定した判例になった。
だからもう、これら判決の当否についてウダウダ言っても仕方がない。
新日鉄住金も三菱重工業も賠償金を払わねばならず、払わなければ差し押さえを受けるまでである。
そしてもし新日鉄住金や三菱重工業が「こんな国で企業活動はやってられない」と思うなら韓国から撤退するだろうし、
こんなことがあっても企業活動を続けたいと思うなら、それでも撤退はしないだろう。
突き詰めて単純化すれば、ただそれだけの話である。
そして日本政府が「いやあ、あなたみたいなとこの国とは条約も協定も結べませんわ。結んでも意味ないんで」と思うなら、今後の韓国との付き合いはそういう風になるだろう。
日本人や日本企業が「やっぱ韓国とは付き合えんわ」と思うなら、民間交流も交易活動も(文化の受け入れも)衰えていくだろう。
それは自然の流れであって、別に目くじら立てるようなことではない。
もちろん多くの日本人が「韓国とはもう断交しろ」と言うのだが、どうせ断交なんてしはしないし、できもしないのはわかっている。
日本と韓国は、ただ隣国だという理由だけでこれからも付き合っていかなくてはならない。
しかし、どうせ国と国の間に熱い友情などないのだし、あったら気持ち悪いものなのだから――
日本が(皇太子がジャーナリスト殺害を命じたという)サウジアラビアと付き合うのは、単に「石油の縁」があるだけの商業上のものなのだから――
同じように韓国とも、そういう商売上の付き合いを淡々とビジネスライクにしていけばよいと思われる。
ところでこの判決、日本にとって甚大な悪影響を及ぼすには違いないが――
しかし、「良い」面が全然ないこともないだろう。
よく言うではないか、「ピンチはチャンス」と。「死中に活あり」と。「誰かの不幸は誰かのチャンス」と。
「カントリーリスク」という言葉は頻繁に使われるが、これで韓国は日本企業にとって「リスクカントリー」であることがハッキリしたわけだ。
それはもう韓国を、投資先(特に設備投資先)の候補として考慮しないで良くなったことを意味する。
事前調査する対象が一つ減るので、これは企業活動上の労力の節約である。
そしてもっと重要なのは、「日本企業にとってのリスクカントリー」とは言っても、その日本企業というのは
●戦前から存在しており、
●戦前・戦中に朝鮮人労働者を使用していた
企業に限られる、ということだろう。
さすがにいくら韓国の裁判所や政府と言えども、戦後生まれの日本企業まで賠償請求の対象として認めはしない。(今のところは…)
つまり、一連の判決は韓国における(主として)旧財閥系の日本企業にとっては大ダメージ・大ショックでも、そうでない日本企業にはむしろ旧勢力を追い落とすチャンスになるかもしれない。
いやそれよりも、むしろ国内の人材採用市場で有利に立つことの方が重大かもしれない。
今の就活生が「就職希望先の訴訟リスク」まで調べて就職活動をするものなのかは知らないが(私は確かにそんなことしていなかった)――
しかし本当に優秀な学生や転職者は、そういうことまで調べて就職先・転職先を考えるとしてもおかしくはない。
つまり「戦前からあって、朝鮮人労働者を使用していた」経歴のある企業、即ち今後とも巨額の賠償リスク(韓国リスク)を負う可能性のある会社は――
優秀な人材を知らないうちに逃してしまい競合他社に獲られてしまい、長い目で見れば企業競争で劣位に落ちるリスクがある。
これは、そういうリスクのない会社にとって、願ってもない幸運である。
そしてもちろん、そういうリスクのある会社に勤めている人にとっては、不運としか言いようがない。
今の新日鉄住金や三菱重工業に勤めている人に、何の「罪」もないことは明白である。
朝鮮人労働者を非道なまでにコキ使っていたかもしれない人々は、とっくに死んだか退社している。
それなのに、そんなこととは何の関係もない――むろん韓国人を虐待したことなど一度もない今の経営陣や従業員が、「罪」だか「賠償責任」を負う。
会社はカネを吐き出さねばならず、今後もずっと訴訟・賠償リスクを負い、業績も人材獲得力も傾いて給与も下がるかもしれない。
そういうことがおかしいからこそ、国家間の条約なり協定なりでカタを付けたはずなのだが……