ルノー、日産自動車、三菱自動車工業の会長を兼ね、日本における「経営天下人」みたいな存在だったカルロス・ゴーン氏は、内部告発で検察に討たれた。
彼は自らの不正行為を執行役員らに指示し、
彼らに払われるべき報酬を少なくして自分に回していたという。
これはまさに、現代版「本能寺の変」である。
そしていつものことながら、水に落ちた犬はこれでもかと叩かれまくる。
今になって前妻のDV告発記事が出たり、
日産の工場を閉鎖された地元の人が「人情のない人だと思ってた」と報じられるなど……
「彼がやってきたのは会計マジックだけ」という批判は前からあったにせよ、
こんなことになるまでは聞いたこともなかったボロクソ記事がボコボコ湧き出てくるものである。
昔の大名や豪族が逆賊や朝敵になるのを極度に恐れ、何が何でも官軍になりたがった気持ちがわかるではないか。
ところでゴーン氏は、自らの報酬額を実際より少なく記載するという、それ自体は単純極まる行為を、当の執行役員たちに命じていたらしい。
私などこれ自体「バカか」と思ってしまうのだが……
彼の身になってみれば、
「まさかこの名声嚇々たる圧倒的知名度のオレを、役員たちが裏切るなんてしないだろう」とか、
「そんなことしたらコイツら役員も(日産が傾いて)困るだろう」とか、
そういうタカをくくった気持ちになるのもわからないではない。
あるいは彼、役員たちには(自分には到底及ばないが)それなりの報酬を与えているから安心、とか思っていたのかもしれない。
しかしやはり、それは思い込みなのである。
たとえ年5億の報酬をもらおうと、そんな自分に不正やゴマカシを指示するトップが何十億円も稼いでいれば、憤懣が溜まり許せない気持ちになるのが人間というものだ。
別にこの(検察に密告し司法取引した)執行役員たちが正義の騎士だとは言わないが、同じ立場になってみればそれは当然、弑逆したくもなるだろう。
明智光秀が織田信長を討ったのは天下取りの野望に駆られたからかもしれないが――
今回の執行役員たちの反逆は、純粋に「コイツはもう許せん」という義憤だったように思える。
それはそれで、結構なことである――
たまにはこういうことでもないと、単なる「商才に長けた一般人」が評判を集めて専制君主のように振る舞うなんて茶番劇(と、私は思う)に、灸を据えることはできないだろう。
それにしてもこの件、「絶対的権力は絶対的に腐敗する」の最新事例のようなものだ。
日産の社長も会見で「一人の人間に権力が集中しすぎた」と言っていたが、そんなわかりきったことが何万回も繰り返されて来たのが人の世だ。
こんなことが起こるのは「一人の人間をひたすら賞賛したがる」人間の性癖が根源にあるから――
というのもわかりきったことに思えるが、しかし人間、まだまだそういうことを止める気は全然ないようだ。
「人間、一人じゃ何もできないんだ」
とかいうセリフは、現代の日本人にとって「青臭い三文ドラマのセリフ」か、悪くすれば「負け犬の遠吠え・ひがみ」とさえ受け取られかねない。
ゴーン氏のここ5年間の報酬額は、本当は約100億円だったという。
あなたが年収500万円だとして、ゴーン氏には本当にあなたの2000倍の能力や価値があるのだろうか。
あなたの総資産が2000万円だとして、総資産1兆円の金持ち(こういう人がいるのは周知のとおり)には、あなたの50000倍の能力や価値があるのだろうか。
いくら何でもそんなには差がないだろうと私は普通に思うのだが、この問いに「ある」と答えるのが、少なくとも「仕方ない」と答えるのが、現代人の「たしなみ」である。
私など、カリスマ経営者だとか言ったって、爪の二・三枚引っぺがせば泣き叫んで許しを乞うのは自分と一緒だろう、などと思ってしまうのだが……
カルロス・ゴーン信長は、部下たちの謀反で本能寺の炎に消えた。
そしてそこらの芸能人や一般人と同様に、いったんそうなればこれでもかと叩かれまくる。
世の中って、カリスマって、せいぜいこんなもんである。