深谷市の秋祭り(ふかや緑の王国)で女児が景品を袋から取り出そうとして高齢男性ボランティアから怒られ、
その女児の父がやってきて高齢男性と口論になり、
それで女児がPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症したとして、父が深谷市に190万円の損害賠償を求めた裁判――
一審の東京地裁では20万円の損害賠償が認められ、
二審の東京高裁では女児側逆転敗訴となった。
そして9月25日付けで、最高裁は女児側の上告を受理しないとして逆転敗訴が確定した。
4裁判官の全員一致の意見だという。
この件については、過去に2つの記事を書いている。
tairanaritoshi-2.hatenablog.com
tairanaritoshi-2.hatenablog.com
二審判決と同じく、今回の最高裁も
「景品の駄菓子を勝手に取ろうとした女児を注意したのは社会通念上、全く正当」
「親として謝罪すべきなのに、道理に反して男性に謝罪を求め、警察に通報するなどした」
と、女児側を叱りつけるような完全否定である。
多くの人はこれを「さすが最高裁はマトモ」と感じずにいられないだろうが……
しかし入口の一審地裁で(190万円の請求中20万円だけとはいえ)女児側「勝訴」の判決が出されたのは、やはり軽くない事実だ。
これまた多くの人は、
「これでこの一審地裁の裁判官は出世できなくなったな」
「少なくとも身近な人からはそういう目で見られるんだろうな」
と思うはずだが、本当にこれで出世できなくなる(高裁とかに行けなくなる)のかどうかは定かではない。
しかし、クビや減給にならないのは確実である。
なんせ、なんと憲法(79条)に「報酬を減らすことはできない」と明記されている職業なのだ。
またもう一つ、多くの人が思うのは――
この女児側の弁護士というのはいったいどういう主張をしたのか、どうやって一審の裁判官の心を動かしたのか、ということだろう。
弁護士に対する悪口として「三百代言」という言葉があるが、これはまさにそれであり、しかもそれが一審を突破したというのが「空恐ろしい」と感じるのは無理もないことだ。
ところで「裁判官」と「弁護士」というのは、世間でその権威がものすごく高く評価されている職業である。
もちろんこのどちらも(あの最難関と言われる)司法試験に通っていなくてはなれないので、一般人を超越した知性を持っている、というのがその根底にある。
特に弁護士などは、それに対面する/その名前を使われると考えただけでビビる人も多いと思われる。
「とても自分は敵わない」と最初から恐れ入る人も多いのである。
しかし、冷静に考えてみれば――
今回の事件だって、双方に弁護士が付いている。
そして最初は一方が勝ったが、高裁と最高裁では完膚なきまでに否定されて負けている。
いや、どんな事件でもほとんど全ては、一方の弁護士が勝って他方が負けているわけだ。
たったこれだけでも、弁護士が無敵でないのは自明である。
そして裁判官の方も、別に最高裁の判事でなくても門前払いしそうな訴えを、現実に勝たせる人がいるのである。
どうも世間は、この2つの職業の権威をあまりに高く奉りすぎではないかとの疑問が生じる。
このブログでも何度も書いてきたことだが、どんなに頭が良くどんなに能力がある人でも――
そういう人は全て「能力のある一般人」に他ならない。
これはジェフ・ベゾスでもビル・ゲイツでも、ナポレオンでもアレクサンドロス大王でもそうである。
まして弁護士・裁判官がそうでないなんてこと、あるわけがない。
その職業を一言で言えば「法律技術者」であり、そこらのIT技術者と分野は違えど、立場は同一平面上にあると見てもいいはずだ。
(圧倒的多数の人は、法律がわからないとか難しく感じるとか以上に、IT絡みのことの方にはるかに手も足も出ないだろう。
ついでに言えば金融工学だってほとんどの人にはわからない。)
しかし周知のとおり人間(日本人?)は、どうでもこうでも意地でも「上下の区別」をつけたがる……
たぶん、こういう盲従的権威評価をやめさせようとするなら――
各弁護士や弁護士事務所の「受注件数」「最終勝訴件数」「最終敗訴件数」を自主表示させることを、法律で義務づけるのが適当かもしれない。
(もちろんその監査もやる。)
そうすることで、弁護士と言えども「法律業界の法律業者」だということが、
世の一般の職業と何も変わらないのだということが、世間にははっきりわかるだろう。
そしてまた裁判官も、当然ながら「法律業界の法律業者」に他ならない。
職業に、そして人間に、上も下もないのである。