例の殺人タックル問題で、日本大学アメフト部の内田正人監督は――
関西学院大学側へ謝罪したこと、自身が監督を辞任することを表明した。
ところがその取材の場で、「関西学院」を少なくとも三度「かんさいがくいん」と言ったことでまたまた叩かれることになっている。
もちろん?正しい読み方は「かんせいがくいん」である。
tairanaritoshi-2.hatenablog.com
たぶん日本人で「関西学院」を「かんせい」と読むことを知っている人は、過半数とは行かないだろう。
関西地方では常識なのだろうが、普通は何の疑問もなく「かんさい」と読むのが当たり前である。
しかし日本大学アメフト部と関西学院大学アメフト部は、もう50年も定期戦をやっているのだ。
その一方の監督が、宿命のライバル校の読み方を知らなかったなんて、とてもギャグ漫画的としか言いようがない。
しかしやや弁護して言うと、きっと内田監督はテンパッていたのだろう。
「かんせいがくいん」と読むことは(当然ながら)知っていたものの、それはどんな状況でも自然に口を突いて出てくるほどには頭に染み通っていなかったのだろう。
だからテンパッた状況下では「意識して喋ること」ができず、つい「かんさいがくいん」という常識的な読み方が口を突いて出たのだろう。
だが、内田監督が本当に読み方を知らなかったという可能性の方が、おそらく高いと思われる……
ところでやや驚くのは、あの殺人タックルが試合中には誰一人気づかなかったらしいことだ。
私はこの事件の謎は、「なぜそんなにあからさまに殺人タックルなんてするのか、誰にでもバレるに決まってるのに」ということだと思っていたが――
事実は小説より奇なり、映像やSNSがなければ本当に誰も気づかなかったらしい。
プロレスでは「レフェリーの目を盗んで反則する」というのが非常にしばしばよくあるが、あれだけ観衆がいても(と言っても、何人いたのかは知らないが……)ここまであからさまな大反則に気づかないということが、どうやら本当にあるらしいのだ。
しかし不思議なのは、試合の録画なんて、大昔からずっとやられてきたのではないかということである。
確かにビデオカメラが向く先はボールの動く先なので、それ以外の範囲は録画されないかもしれない。
だが、今まで誰一人そんな行為の瞬間を録画したことがなかったなんてことは、とても信じられる話ではない。
別にSNSがなくたって、そういう録画はテレビ局に持ち込まれていたはずである。
しかししかし、どうも日本大学側はそういう前提で――殺人タックルの瞬間が誰にも録画されることはないという前提で、犯行を実施したとしか思えないのも事実である。
私やあなたなら、この時代とうていそんな認識は持てそうもないのだが、そういう認識の人が確かに世の中にはいるらしい。
そしてまた、内田監督のそういう認識が謎だとすれば、それを実行した日大選手の心理というのは何ともいたたまれないものだ。
彼はもちろん、自分の行為が誰かに必ず撮影されるとわかっていた――
犯行の一部始終が誰かに撮られるだろうことが、確信に近い形でわかっていたはずである。
それがSNSで拡散されるかも、なんてことに、思い至らないスカスカ頭ではないはずである。
(スポーツ推薦なのかは知らないが、一応は日本大学に入っているのだ。)
それなのに彼は(監督の指示か示唆かは知らないが)、あえて背後から相手選手に「ぶちかまし」を喰らわせた。
これは人間というものについて、何かを暗示している――
と言うより、はっきり明示している。
つまり人間は、犯行がバレるとわかっていても、卑劣な破壊行為として指弾されるとわかっていても、なおやってしまうことがあるのである。
話が飛躍しすぎかもしれないが……
この調子では、旧日本軍が中国で大虐殺をやったなんて話も、信じるしかなくなりそうではないか。
スポーツの試合で、相手を怪我させ脱落させることを目的として、無防備な背後からタックルする。
指示だか圧力だか知らないが、それをしなければ部にいたたまれなくなってしまう――
そう思い詰めたとき、少なくとも一部の人は明らかに、「そんなことやれるかよ」と退部するのではなく、赤の他人を傷つけることを選ぶのだ。
あまり体育会系の人たちを悪く言いたくはないのだが、
もしこういう「監督や先輩の命令には基本的に絶対服従」「上下関係がしっかりしている」という体育会系の「美徳」を日本企業がいまだ高く評価している(というか、好きである)とするならば――
日本の没落と堕落退廃は、救いようのない運命として(なにせ自分で好き好んでそんな道を選ぶのだから……)確定だろう。
tairanaritoshi-2.hatenablog.com
tairanaritoshi-2.hatenablog.com
tairanaritoshi-2.hatenablog.com