一つは福田淳一・財務事務次官が辞任したことに絡み、麻生太郎・財務大臣が「刑法にセクハラ罪という罪はない」と発言して批判を浴びたことについて――
まさにそのまんま「セクハラ罪という罪はない」とした内容である。
もう一つは、元首相秘書官・柳瀬唯夫 氏が加計学園の獣医学部新設に絡み、愛媛県職員・今治市職員と官邸で会ったか会わなかったかという、すぐわかりそうなのに延々と続いている話について――
「官邸で面会していたか確認するのは困難。訪問予約届は保存せずに廃棄してるから」とした内容である。
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まず「セクハラ罪という罪は現行法令に存在しない」というのは、木で鼻をくくったような答弁である。
しかしやはり、そうとしか言いようがないというのが本当のところだろう。
罪刑法定主義とは、刑法の大原則である。
刑法に罪として載っていない行為は、それは犯罪ではないのである。
しかしこの麻生発言に反発する人としては、「そんなことを言ってるんじゃない」と言いたいには違いない。
たぶんこの心情は、「不倫は確かに刑法に載ってる犯罪じゃないが、しかし犯罪に等しいから罰せられるべきだ」とする心情と通じている。
以前の記事にも書いたのだが、このことについて本当に不思議なのは――
「不倫は確かに犯罪じゃないが犯罪に等しい」
「セクハラは確かに犯罪じゃないが犯罪に等しい」
と思っている人は非常に多いはずなのに、「姦通罪の復活」とか「だったらセクハラ罪の新設を」とかいう運動が、全く盛り上がる気配のカケラもないことである。
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本当に不倫やセクハラが許せないなら、それを刑法に載せろと主張して然るべきはずなのに、そんな意見はネット界でさえほぼ見かけない。
なのに不倫やセクハラは社会的に叩かれまくって当然、そのうえ制度的にも罰されるべきだというのは、ほとんど「人民裁判のススメ」である。
これは前々から思っていたが、世の中の人は(現代日本人は)――
きっと「法治主義」というのが本当は嫌いなのだろう。
人治主義が好きであって、その方が正義だと感じているのだろう。
相手に対して「法律でそうなってます」という答えをすれば、まず間違いなくその相手は怒り出す。
そしてたぶんあなた自身も、「法律でそうなってます」と言われればカチンとくる。
これはまさに、「現代日本のカチンとくるワード」ナンバーワンの座を争うフレーズである。
法律は二の次であって、配慮こそが第一だという価値観は、今の日本のスタンダードな価値観だと言っていいだろう。
さてもう一つ、(例によって)文書は廃棄してるから面会の事実があったかどうか確認できない・困難だ、という。
ここでも非常に不思議に思うことがある。
あまりにも簡単に思いつくことではあるし、私自身こういうことには全然詳しくないので、ひょっとして恥ずかしいことを言っているのではないかとも思うが――
官邸に訪問予約簿の保管もないし柳瀬唯夫 氏の記憶も曖昧だというなら、
なぜもう一方の当事者である愛媛県職員や今治市職員に話を聞かないのだろうか?
なぜ彼らを参考人招致しないのか、証人喚問しないのか、それに近いことをしようという動きが全然ないのか、本当によくわからない。
もちろん愛媛県職員や今治市職員にとっては、そんなことされたらメチャクチャ困るというのはわかる。
獣医学部を誘致したかった今治市などにとって、きっと柳瀬氏は恩人である。
その恩人が面会の事実を否定したり曖昧にぼやかしたりしてるというのに、どうして裏切ることができよう。
もし裏切れば、県も市も安倍官邸に睨まれまくるのは火を見るよりも明らかである。
しかし裁判の証言とか国会に呼び出されての応答というのは、本来そういうものであるはずだ。
もし彼らと柳瀬氏が面会したのが真実なら(真実だと思うが)、彼らもまた「会ってない」「会ったか会ってないか記憶が曖昧」とか答弁するのだろうか?
それはそれで、そんな光景を見てみたいと野次馬的に思ってしまうのだが……
本当になぜ、野党や反安倍色の強いマスコミさえ、「愛媛県職員と今治市職員を呼ぼう」と言い出さないのだろう。
(言っていればスミマセン……)
世の中には当然ながら、私などにはわからないことが多いものである……