3月20日、地球最後のキタシロサイの雄が、ケニアの自然保護区内で安楽死させられたことが発表された。享年45歳。
残るは雌2頭のみで、もちろん絶滅確定である。
というか既に2008年には、野生種は絶滅していた。
記事には1970年代から80年代の乱獲が絶滅の要因となったように書いてあり――
「また人間の愚かさが貴重な動物種を滅ぼした!」と憤りを感じる人は多そうである。
しかし動物の絶滅もまた現代では、ヤフーニュースに載ってしばしの注目を集める儚き話題の微々たる一つに過ぎない。
このニュースに憤りや無念さを感じる人だって、いつまでも――どころか数日でさえそれを持続させることはない。
明日は明日、明後日は明後日で、また改めて憤ったり無念さを感じるに決まっている。
(そしてそれが死ぬまで続く。)
だいたいキタシロサイとはサイの中のシロサイの亜種なのだが――
それよりははるかに関心を呼びそうな、あの中国の「ヨウスコウカワイルカ」(揚子江という川のイルカ)が絶滅に瀕していることだって、そんなに関心のある人はいないだろう。
(2007年にいったんは絶滅が宣言されたが、その後生息が確認。
今は鄱陽湖という淡水湖に400頭ばかりだけ生きているらしい。)
ところで先日の記事でも書いたが、サイは奇蹄類(蹄(ひづめ)が奇数)の一種である。
そしてその奇蹄類自体が、なぜだか衰退の一途を辿っているのである。
tairanaritoshi-2.hatenablog.com
どうもキタシロサイという亜種、いやサイ全体が、別に人間がいなくたっていずれ近いうち絶滅したんじゃないかと思われる。
おそらくウマも人間がいなくても滅び、マレーシアの密林とかにいるバクも、細々と暮らし細々と滅ぶ運命にあったのだろう。
しかしなぜ、奇蹄類がそんな運命で偶蹄類がそうでないのか……
これは生物学者にとっても、非常に難題だと思われる。
特にウマなんて蹄をたった一本にした、「進化を極限まで推し進めた」動物の一つである。
人間のいない大草原を疾駆するのにこれ以上適応した動物はいないようにも思えるのだが、いったい何がいけないのだろう。
馬がダメなら、牛やバイソンだってもっとダメではないだろうか。
おそらく人類が絶滅したら、ウマもサイもその後を追うように滅びるだろう。(ウマはもちろん、今でも家畜ウマしかいない。)
最後まで残るのは密林のバクだろうが、それだって極めて危うい。
人類の消えた地球で奇蹄類はたぶん、100万年いや10万年くらいのうちに滅亡する。
そしてもし本当に、「四足哺乳類で指が奇数のものは不利」だからこそそうなるのなら――
今の偶蹄類のうち、「新・奇蹄類」(つまり、指の減少)に進化する種はないはずである。
だがしかし、きっとそんな偶蹄類はいるとも思う。
何十万年・何百万年の後には、やっぱり新・奇蹄類は出現するのではなかろうか。
「奇蹄類はなぜ衰退するのか/したのか、そもそも出現したのか」――
これは個人的に、進化と生物についての「謎中の謎」の一つである。