児童漫画誌の雄『コロコロコミック』(2018年3月号)所収のマンガ「やりすぎ!!!イタズラくん」(作・吉野あすみ)の中に――
モンゴル帝国の創始者チンギス・ハンの肖像画に男性器(チンチン)を落書きするコマがあったことで、モンゴル人が激怒している。
2月23日には駐日モンゴル大使館がそのにフェイスブック上に抗議文を掲載、
2月26日には小学館本社ビル前で在日モンゴル人らが抗議デモを行った。
また、書店ではコロコロコミック3月号を回収・販売停止する処分が広まっているという。
モンゴル人にとって、今に至るも人類史上最大の帝国・大モンゴル帝国を築いたチンギス・ハンが大英雄であることは、別にたいした想像力を要しない。
その肖像画にチンコを書き加えるなどという落書きを、許されざる侮辱と感じるのも簡単に理解できる。
しかしその反面、チンギス・ハンという男が大侵略者で大虐殺者だということも、別にたいした歴史知識を要しない。
ここのところ、モンゴル人はどう考えているか聞いてみたいところである。
そりゃ犯すべからざる英雄なんだから、虐殺なんてどうでもいいじゃないと考えているのだろうか。
そんなことスルーしていい/スルーすべきなのだろうか。
チンギス・ハン率いるモンゴル人に殺された何十万人(ひょっとしたら何百万人)が、もし生き返り――
同じく生き返ったチンギス・ハンに相対したとしたら、
とても顔にチンコを描く程度では済まさないのは明らかだと思われる。
もちろん凄まじい拷問リンチにかけ、嬲り殺しにするに決まっているのだ。
そういうのはモンゴル人に対する侮辱だから、傷つけるから、やってはいけないことなのだろうか。
チンギス・ハンを虐殺者として糾弾する本を書いて出版するのは、モンゴル人に「配慮」して一切やってはいけないのだろうか。
もしモンゴルでヒロヒト天皇(昭和天皇)の写真に落書きするような漫画雑誌が出版されたら、日本大使館は抗議文をネットにアップすべきだろうか。
(モンゴル政府がそういう本を発禁にする、というのはまた別の話である。)
この問題、さらに拡大を図るため――
日本人の誰かが、
「こんなの氷山の一角ですよ。日本では教科書の歴史上の人物に落書きする文化がすごく広まってるんですよ。
チンギス・ハンだってフビライ・ハンだって、何百万人もの子どもたちに落書きされ続けてきたんですよ」
とモンゴルに“ご注進”してはどうだろう。
モンゴル人は、さらに激怒するだろうか。
ひょっとしたら日本政府に、
「日本政府は教育現場で子どもたちがこういうことをするのを、止めさせるよう指導すべきだ」
とでも申し入れをするだろうか。
そして何となく、今の日本の政府や世間の雰囲気を見ていると、本当に文部科学省はそんな通知なり指導なりを出すのではないかと感じられる。
いや、何もモンゴルに限った話ではなく、日本の右翼団体だって、
「後鳥羽上皇や後醍醐天皇、ましてや昭和天皇の画像に落書きさせるのは、皇室への重大な侮辱である。
こんなことは絶対に止めさせるよう、国は学校現場に強く指導すべきである」
くらいのことは言ってもおかしくないだろう。
(なんでこういうことを今まで言っていないのか、いささか解せないくらいである。)
そういえばコーエーは『蒼き狼と白き牝鹿・ジンギスカン』なんて歴史シミュレーションゲームも作っていたが――
その中では、当然チンギス・ハン(ジンギスカン)を「処刑」することもできたはずである。
そういうのはモンゴル人に配慮して、コマンド削除すべきなのだろうか。
いや、そもそもチンギス・ハンに能力値を付けたり“オルド”のシーンを挿入したり、「チンギス・ハンが攻め滅ぼされることがあり得る」設定にすること自体さえ、問題となりかねない。
チンギス・ハンとは、確かに“偉大な”征服者である。たぶん戦争の天才でもある。
モンゴル人が誇りにも神聖不可侵にも思うのも無理はないが、しかし――
その“無理はない”というのが曲者なのだ。
あえて口汚い書き方をすれば、こんなヤカラを崇め奉ったり尊敬したり誇りに思ったりするからこそ、いつまで経っても人類は戦争や差別から抜け出ることができないのである。
チンギス・ハンは、戦争が非常に上手い「ただの人」である。アレクサンドロス大王なんかも同類である。
ドストエフスキーは小説を書くのが上手い「ただの人」だし、
ゲーテは詩を書くのが上手い「ただの人」だし、
カール・フリードリヒ・ガウスは、数学が異常にできる「ただの人」である。
特にチンギス・ハンなんて、部下に「おまえたちの楽しみは何か」と聞いて、
「鷹狩りです」とか「酒を飲むことです」とか答えたのを一笑し、
「オマエらはわかってない。敵を打ち破って敵の妻や娘を我が物にするのが最高の楽しみだろう?」
なんて言ってしまう男だったのだ。
(必ずしも、事実とは断言できないエピソードだが……)
こういうのは現代では、いや現代以前の世界であっても、人非人と言う。
ルーマニアのブラド・ツェペシという男は渾名を“ドラクル”といい、あの吸血鬼ドラキュラの元ネタになった中世の君主だが――
とにかく敵を串刺し処刑しまくり、戦い敗れて虜囚になっていたときは「カエルを差し入れてもらい、それを獄中で串刺しにして心の慰めにしていた」という、正真正銘のサイコ野郎として有名である。
しかしこんな男でもルーマニアでは、「トルコの侵略から国を守った英雄」なのだという。
(ホントにそうなのか、現地に行ってみたわけではないのでわからないが……)
もういい加減モンゴル人も世界のどこの国民も、こういうのを英雄として神聖不可侵扱いするのは止めた方がいいのではないか。
そして日本人も、いい加減「配慮」はそこそこにしないと、教科書への落書きすらも糾弾される社会になるのではないか。
「地獄への道は善意で舗装されている」とよく言うが、きっと日本の場合は「配慮」で舗装されているのである。