報道から一週間ほど経ち、もう過去の話になってしまったのだが――
例の松岡伸矢くん失踪事件で、伸矢くん本人ではないかとネットで騒がれていた和田竜人さん、DNA鑑定によると伸矢くんではなかったらしい。
(⇒ 独女ちゃんねる 2018年2月8日記事:和田竜人と松岡伸矢くん「DNA鑑定の結果」父親からの証言で北澤ひさしで確定【画像】 )
やはり世の中、そんなウマい話はないのである。
そんなドラマチックな、多くの人が「そうあってほしい」展開にはならないのである。
大山鳴動して鼠一匹というか、こんな出来事もあっという間に――この出来事についてネットに何か書き込んだ当の本人でさえ――忘れられてしまうのだろう。
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なお、伸矢くんのお父さんは、初めから和田竜人さんと伸矢くんはあまり似ていないと思ったらしい。
DNA鑑定の後でそんなことを報じるマスコミもマスコミだと言いたいところだが、しかし万が一鑑定が一致したら、そんなことを報じていればマスコミもお父さんも大恥をかくのだから、致し方ないというものだ。
それはともかく「日本を代表する」未解決事件の一つであるこの事件、やはり謎はそう簡単に解かれないようである。
私はこの事件について、素人探偵の推理を披露しようとは思わない。
それはもう、ありとあらゆる可能性を警察は考え尽くしてきたに違いないからだ。
もちろんその中には、「両親(身内)犯人説」というのもあって当たり前である。
いかにヒドいと言われようと、そういうことを思いつきもせず調べもしないというのは、よほどのヌケサク警察だろう。
それでも両親が捕まっていないのは、やっぱり両親はシロだからに違いない。
おそらく、この事件について知るほとんど全員が思っていることだが――
伸矢くんは、すでに死んでいるだろう。
それも、失踪からそれほど間を置かずに死亡したと思われる。
先日の記事にも書いたが、「たかが40秒、されど40秒」である。
そしてこの「目を離してたった40秒」というのも、時計やストップウォッチで測っていたわけではないから、本当はもっと長かった可能性が充分ある。
事件の舞台となった家というのは、徳島県の山間で周りに家が(全く?)ない、正真正銘の一軒家らしい。
もちろん私が現場を知るわけないが、山肌(や、ひょっとしたら深閑とした森)が、ごく近距離にある立地条件なのかもしれない。
1分、もしくはそれより長い時間があれば、4歳の子どもの脚でも意外なほど“外からは見つからないところ”に行ける――
しかも伸矢くんは失踪直前、“もっと散歩に行きたそうだった”という。
私がこういうことを思うのも、実際に山で迷いかけたことがあるからである。
それも子どもではなくいい歳をした大人になって、しかも「山」などと言えたものでない、「裏山」よりももっとちっぽけな――
直線距離で市街まで50mもないような「丘」みたいなところでだ。
(その丘の頂上付近の、とある施設に行く用事があったのだ。)
6月で草木が繁茂していたこともあるが、しかし全くの白昼である。
それでもどう上ればいいのかわからなくなり、下りているのか上がっているかもわからなくなってしまう始末。
まさかこんなところで“遭難”に近い状態になってしまうなど、当然想定外である。
自分の名誉のために言っておくと、私は何とか「下山」でき、下で待っていた連れの人間が「じゃあ自分が」と代わって登山にチャレンジした。
しかし彼もまた迷ってしまって失敗し、下山。
私が2度目(通算3度目)のチャレンジで、ようやく目的に行き着くことに成功した。
だがこれが、四歳児だったらどうだろう。
その迷いぶりと恐怖とは、私が経験したことの比ではないのではないか。
もちろん大声で泣き叫べばいいのだが、しかし恐怖のあまり声も出せないというのはありそうな話である。
もしそこで、草むらに隠れた「溝」みたいなところに転落し、頭を強く打ってしまったとしたら……
とはいえ、そんな「山」や「森」がすぐ近くにあるなら、確かに誘拐犯が隠れ・さらって身を潜めるには絶好の環境というのもまた事実。
「家の玄関から10mばかり離れた石段の下に立っていた」という伸矢くんに走り寄り、口を塞いで抱きかかえ、必死の思いで森に駆け込む――
というのも、できないことではないのだろう。
しかし、では、首尾よくさらった後はどうするのか。
それはやはり、自分の家に連れて帰る。そして監禁することになるはずだ。
でもそれって、周囲に隠し通せることか?
「今まで家にいた人間を、家に監禁する」というのは(比較的に、だが)簡単である。
その人は職を得て遠くへ出て行ったとか言えば、ふだん近所付き合いのそんなにない家庭なら、別に誰も気に留めはしない。
しかし「今まで家にいなかった人間を、家に連れてきて監禁する」というのは、この日本では(広いアメリカと違って)段違いに難しいと思う。
外に怪しい物音や声が全然響かないなんてことが、はたして何年にもわたってあり得るだろうか?
今まで子どもなんていなかったはずの家から、子どもの声が聞こえてくる……
それをたまたま耳にした人が、怪しんで警察に通報しないなんてことが、何年間もあるだろうか?
いや、あるのかもしれないが……
重要なのは、当の監禁した本人がそんなことを確信できないことだろう。
小さい男の子をさらうというのは、身代金目的でないのならほぼ間違いなく性的目的である。
だがいざそんな「夢」を強引に叶えてしまえば、かえって茫然自失とするタイプの人も多いはずだ。
これからずっとこの子を監禁していくリスクを思えば、「そんなことはやってられない」と発狂したくなる人だっているだろう。
そうなるともう、その子を殺すしかなくなってしまう。
この場合、遺体はその犯人の家の床下や押し入れに入れられることになるのではないか。
ことによると空き家になった家で、今も眠っているのではないか……
(もちろん、誘拐犯人がその当時は一人暮らしだったことはほぼ疑いない。)
むろん事故説には「徹底した捜索」によっても見つからなかったという弱点があり、
誘拐説は「犯罪現場があまりにも人里から孤立しすぎていて、かえってリスクが高そう(人混みにまぎれることができない。もし見つかったら言い訳できない)」という弱点がある。
しかしいずれにしても、たいへん言いにくいことではあるが、伸矢くんが今も生きているとは非常に考えにくいのである。
もしタイムトラベルなんてものができるものなら、まさにこの事件の瞬間を見たい、と思う人は多いだろう。
1989年3月7日、午前8時10分ごろ――
家から10メートルほど離れた石段の下にいた松岡伸矢くんに、いったい何が起こったのか。
誰かがそこへ駈け寄り(抜き足差し足で歩いてはいないはずだ)、火事場の馬鹿力とでも言うべきもので伸矢くんを抱え上げて走り去ったのか。
それとも何も起こってはおらず、伸矢くんはただ木々の間へ走って行って、茂みに姿を消したのか……
そして蛇足ではあるが、タイムトラベルができるということが発表され、みんなに知れ渡ったときこそが、キリスト教のいう人類の“悔い改め”の日なのだろう……