2月6日、宮内庁は眞子さまと小室圭さんとの結婚延期を発表した。
また、眞子さま自身も「急ぎすぎていました」とコメントを発表した。
宮内庁は「小室家に関する週刊誌報道は関係ない」と否定しているが、もちろん関係ないわけがない。
やはり小室家には多くの問題があると見ていいのだろう。
なにせ半年やそこらの延期ではなく、今から2年以上も先の2020年に延期である。
“天皇陛下の退位や、皇太子さまの即位などの皇位継承の行事が終了した後に”などと言っているが――
あと2年も先なら、当の「おじいちゃん」たる高齢の現天皇が崩御している可能性は充分にある。
普通はこういう慶事、おじいちゃんが生きているうちに……と、繰り上げることはあっても2年も遅らせるという話はないものだ。
私は紙の週刊誌というものを一切全く読んでいないが、そのネット記事を見る限り、小室家にはまさに問題山積といった有様である。
婚約報道がされた当時、小室さんのことを「責任感のある(対取材)態度」などとマスコミが褒め上げていたのが、ウソのような隔世の感ではないか。
(新日本プロレスの内藤哲也なら、「まさに、てのひら返しですよ」とでも言うだろう。)
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さて、宮内庁と眞子さまの発表では、あくまで結婚の意志と予定自体は変わらないとされている。
しかし2年も先送りするというのは、これはもう二人の行き先には暗雲が立ちこめまくっているとしか見ようがない。
ここでどうしても論点の一つになってくるのは――
「宮内庁は、もっと小室さんの身元調査をしっかりやるべきだった。
本人だけでなく家族も調査すべきだった。
これだから身元調査は大事なのだ」
という意見だろう。
なるほどこれは全くの正論である。
不動産を買うときなど、「デューデリジェンス」を綿密に行うのは、ビジネスの常道と言うよりビジネスマナーの一環と言った方がいいようなものだ。
デューデリジェンスを直訳すれば、「当然行なうべき調査」ということになる。
言ってみれば宮内庁は「当然行なうべき」事前調査を怠ったわけだが、しかしだからといって宮内庁を責めるのは酷だろう。
(つい先日の記事でも、フジテレビについて同じことを書いたのだが。)
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逆に宮内庁は、小室さんの家族を含めた身元調査をやりたくて仕方なかったはずである。
それができなかったのはもちろん、そんなことをすれば眞子さまの逆鱗に触れてしまうからである。
「好き」という想いは、尊くもあるが始末にも負えないもので――
自分が大好きな人、結婚したいと思っている相手に対して他人が「探り」を入れようとするなど、とても許しがたいおせっかい――いや、わが心を踏みにじる大悪事に感じ取ってしまうものだ。
そして非常によく知られているように、決まって問題児に惚れてしまう女性というのが、世の中には結構ゴロゴロしているのだ。
言うまでもないが眞子さまは、たまたま皇室に生まれただけのただの一般女性である。
だから、本人はともかくとして家庭に極めて問題のある異性に惚れてしまうのは――
たとえそのことを知っててもなお、好きだ・結婚したいと強く願うのは、世にありふれた一例に過ぎない。
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だから今回の「事件」は、決して皇室という特殊な家に限った問題ではない。
思えば結婚とは、とてつもなく不確実でリスクに満ちた――いわば原始的としか言いようのない――人生の選択である。
自分が好きになった相手が、裏ではどんなことを隠しているかわかったものではない。
その家族や親族にどんな根性曲がりや悪人がいるか、知れたものではない。
本当は怪しげな新興宗教に属しているとかいないとか、元いじめっ子の中心人物であったかどうかなんて、何度カラダを重ねたからってわかりようがない。
それを知るほとんど唯一の手段は、本人には言わず、興信所や探偵に頼んで身辺調査することである。
尾行を付けて隠し撮りして、本人や家族の日常を確認することである。
はたして宮内庁は地元警察に依頼して、小室さんやその家族をこうして調査すべきだったろうか。
あなたが結婚を考えるとき、そのすきな相手をデューデリジェンスするのは「当然行なうべきこと」だろうか。
そして小室さんらについてそうすべきだと言うことは、もちろんあなたもあなたの家族も調査されるべき、と言うことである。
どうやら昨今の社会のキーワードは、「身元調査」「身辺調査」すなわち「人間のデューデリジェンス」ということらしい。
新番組のアナウンサーを選ぶときも、
タレントを起用するときも、
皇族が結婚したいと言っている相手方を確認するときも――
そしてあなたが結婚するときも、就職するときも、
デューデリジェンスを欠くことができない社会。
その当然のことを怠れば、必ず非難される社会。
思うにこれは――
結婚するのが「身近な誰か、相手方の家族も含めてよく知ってる誰か」にほとんど違いなかった原始社会や村落社会では有効だった「従来型の結婚」が、
この「もともと見ず知らずの相手」と出逢って結婚するのが当然な現代社会に、明らかに対応できなくなっていることの表れのようにも感じられる。
つまり「従来型の結婚」とは、もはや“成り行き任せの原始的デタラメ”の結婚方法と言えるだろう。
そんな結婚に暗雲が垂れ込めたり破局に至ったりするのは、当たり前と言えば当たり前の話なのだ。
我々は、結婚相手や就職希望者を身元調査すべきか。しないなんてのはバカなのか。
これは、現代社会の中でかなり大きなテーマである。