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週刊文春編集長「切ない」「伝わり方にギャップ」―子どもに「大人はバカばっか」と思われても仕方ない?

 小室哲哉が引退表明したことで、その不倫を暴いた週刊文春に批判が殺到している。

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 その最中の1月27日、週刊文春の新谷学(53歳)編集長は、同誌デジタル会員向けのトークイベント(相手はカンニング竹山)に出席し、“苦しい胸の内を明かした”。

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 この記事を読んだ人の、誰もが感じるはずだが――

 いやまぁ、何とも呆れ果てた言葉の羅列である。

 私は週刊文春を一度も読んだことがないし、不倫を暴く報道の是非をここで論じようとも思わない。

 しかしそんなのを抜きにしても、「雑誌の編集長や編集部というのは、ここまでバカが揃ってるのか」という思いを禁じ得ない。

 しかもこれは、日本を代表する週刊誌の話なのである。

 新谷編集長は言う――


●「不倫摘発雑誌のようにとらえられるのは切ない」


●「人間のいろんな面を伝えていきたい。

 KEIKOさんの介護をしているという『表の顔』の裏で、女性との息抜きを求めていた。

 大変な介護の中で生き抜きもしたくなるよなという、介護の理想と現実というものを伝えたかった」


●「こちら側の意図するものと、伝わり方に大きなギャップが出てきている。(世間がこんなに騒ぐとは/小室が引退するとは)予想できなかった」 


 一応これを、“言い訳”や“釈明”ではないと仮定する。

 しかしこれほど数々の不倫を暴いておいて、「不倫摘発雑誌のようにとらえられるのは切ない」んだそうである。

 いったいこの編集長さんには、世間とのズレを知覚する能力がないのだろうか。

 もちろん週刊文春は不倫摘発雑誌だと世間に認知されているし、文春自身もそれがウリではないのだろうか。

 それでいて、そんな認知は「切ない」らしい。

 こんなポエマーみたいな人が生き馬の目を抜くはずの週刊誌を作っているなんて、なんてファンタスティックなのだろう。


 そして小室哲哉の不倫スクープをした真意は、「介護の理想と現実というものを伝えたかった」――

 もうこれは、噴飯物と言っても過言ではあるまい。

 いやあ、週刊文春は編集長以下、介護の理想と現実を伝えたいがために、取材して記事を書いていたそうである。

 これはいかに文春砲の大ファンといえども、ブッと吹き出すか怒り始めて当然の発言ではないか?


 さらに極めつけは、「こちら側の意図するものと、伝わり方に大きなギャップが出てきている。予想できなかった」ときた。

 これが本当だとしたら――

 週刊文春の編集長と編集部員というのは、いったいどこまでバカなのだろう。まるで底なしのバカである。

 いや、もし真に「介護の理想と現実を伝えたくて」小室不倫記事を取材して書いて発売したというなら、もうバカを通り越して狂人の集団である。

 小室不倫記事を読んだ世間が「大変な介護の中で、生き抜きもしたくなるよなぁ」なんて感慨に浸り、

 まるで人生の酸いも甘いも表したオトナの文学作品を読んだときのような受け止め方をしてくれるなんて、本気で思っていたとしたら……

 そんな狂人たちが日本のメディア界で普通に活動しているなんて、暗黒の未来を描くSF映画よりはるかにずっと恐ろしいことだ。

 これが日本トップクラスの週刊誌の編集長の“苦しい胸のうち”らしいのだから――

 こんなのを知った子どもたちが、


「オトナってウソつき」

「オトナってバカばっか」

「オトナって醜い」


 とか感じるのは、誠に当を得ていると言わなければならない。

 
 しかし上記のようなことを書いたからと言って、私は週刊文春の編集長以下をバカにしているわけではない。

 そう思われるのは切ないことだし、まさしく伝わり方のギャップでもある。

 本当に伝えたいのは、介護ならぬ「仕事の現実」というものだ。

 もう一度仮定するが、週刊文春編集長の発言は真意を語っているものとする。

 週刊文春を不倫摘発雑誌だとは思われたくないし、

 そう思われているとしたら切ないし、

 人間の色んな面を伝えたくて、人間の理想と現実を伝えたくて、

 一連の文春砲を放ってきたのだと仮定する。


 そう考えると「仕事」とは、それこそ何という切ないものだろう……

 こんな文学青年みたいな真意がありながら、実際にやってることは文春砲だというのだから。

 野球帽をかぶった少年が“やったぜシメシメ”みたいな顔で舌をペロリと出している“文春くん”というキャラを作り――

 そのマスクをかぶった人間を、流行語大賞の授賞式に出すようなことが仕事なのだから。

 これは見方によっては、狂人が週刊誌を作っているということよりも陰惨な現実である。 


 そしてこのことは、ずいぶん確からしく思えるのだが――

 週刊文春に配属される人、すなわち文藝春秋社に入社するような人には、文学青年みたいな人がかなり多いはずである。

 それこそ「人間のいろんな面」や「人間社会の理想と現実」を真剣に考えたい人が多いはずである。

 そういう人たちが現実の仕事では不倫暴露記事を編集し、

 あげくの果てには公衆の面前でこれほどの「ウソ」をついてしまうようになる。

(この編集長の発言をウソだと思わない人って、よほどの変わり者である。)


 このことに何らかの感慨を抱かない人というのは、確かに人非人と言ってもいいだろう。

 全く人間の営みというものは、切なくも惨めったらしい面があるものである。

 そりゃ子どもたちや若者が、「働きたくないでござる」と思ってしまうのも無理はないというものか……