プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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平成は31年4月30日で終わり-時代への適応力を失う皇室と宮内庁?及び新時代の元号の決め方について

 12月1日の皇室会議で、現天皇は2019年(平成31年)4月30日に退位し、翌5月1日に新天皇が即位することが決まった。

 つまり、平成は31年4月30日で終わり、翌5月1日から新元号になるのである。

(新元号は来年2018年夏頃に発表されると言われている。)


 一言で言って、残念である。

 当初言われていたように「平成は30年(2018年)12月31日で終わり、翌1月1日から新元号に切り替わる」となれば、どんなに良かっただろうか。

 安倍政権(安倍晋三首相)は、もちろんこうしたかったらしい。

 それがダメなら、せめて年度替わりと一緒の「平成は30年(2018年)3月31日まで、翌4月1日から新元号に切り替わる」としてほしかった。


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※しかし私は、「年」(1月~12月)と「年度」(4月~3月)が食い違うこと自体おかしいと前々から思っている。

 「年」と「年度」は一緒であるべきである。

 12月は「師走(しわす)」と言うが、それは「1年の終わりで、お師匠さんが走り回るほど忙しい時期」だからである。

 なのに現代の大多数の勤労者の間では「年度末(3月)」こそ「1年の終わり」なので、まるで年末が2回あるようなものだ。

 そしてどちらかと言えば、3月の方が真の(重みのある)年末になってしまっている。

 新年と新年度が一致しないというのは、心理的にあまり良くないのではないか。

 今回の決定で「平成は平成31年4月末に終わる」ことになったが、しかし年度で言えば「まだ来年3月までは平成31年度」なのだ。元号はすでに変わっているのに、だ。

 これって、改元の意味を失わせるなかなか重大な欠陥ではないか?

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 「平成は12月31日で終わり」に終始反対したのは、宮内庁だったらしい。

 年末年始は宮中行事が非常に多い、というのがその理由である。

 一方で「平成は3月31日で終わり」(宮内庁はこれを提案したとのこと)とならなかったのは――

 「2019年4月に統一地方選が予定されるので、“静かな環境”になりにくい」から。

 また、宮内庁の提案を飲んだら官邸のイニシアチブが失われるから、ということらしい。

(⇒ 毎日新聞 2017年12月2日記事:退位 日程、苦肉の策 官邸と宮内庁綱引き)


  だが、これ――

 ぶっちゃけ宮中行事なんて、国民の大多数にはどうでもいいこと/興味のないことである。

(あなたはそうでないかもしれないが、そういう自分がごく少数派であることは認めないわけにいかないはずだ。)


 また、4月から新しい元号になるからって、それが選挙に何の関係があるか。

 それで騒がしくなるなんて、ちょっとコジツケも過ぎるのではないか。


 こんなことが理由になるのなら、私だって提案くらいは簡単にできる。

 その提案とは、


天皇崩御(または退位)した年の12月31日で現元号が終わり、翌1月1日から新元号に切り替わる」と法律で決めることである。

 むろん12月31日でなく3月31日で終わるとする選択肢もあるが……

 これだけのことで宮中行事も選挙も何も関係なく、国民はあらかじめわかった上で(便利に)改元を迎えられるではないか?


 もはやすでに天皇自身の意志により、「天皇の死亡日=新天皇即位の日=元号切り替え(改元)の日」という公式は崩れたのである。

 だったら改元の日を、天皇の死とも譲位ともその他諸々の式典の日とも無関係にして何の不都合があるだろう。

 はっきり言って、こういう風にキリのいい日で元号を変えないというのは――

 現代という時代、国民の利便、そして国民の「何だよソレ」という感情に適応しようとしない態度としか言いようがない。


 むろん宮内庁というのは、もうその名前だけで「保守的で、時代に適応しようとしない」組織なのだろう。

(あるいは、時代に適応しないことこそ使命だと言うべきなのかもしれない。) 

 しかし本件で国民はまた、「平成は31年までで、それも3月末でなく4月末まで」と憶える負担を強いられるわけだ。

 これが「平成は30年12月31日まで」であれば、どれほどウケが良かったろうか。


 「一事が万事」とはよく言うが――

 これでまた「元号なんてメンドクサイ、もう使うなよ」と思う国民がますます増え、または思いを新たにするのは確実に思える。

 元号はただでさえ、「日本でしか通用しない」「西暦のように通算できない(大正2年から平成29年までは何年間かすぐにわからない)」というハンディを負っている。

 これを克服して広く使われ続けるには“国民に憶えやすくする”しかないというのに、宮内庁あるいは皇族方は、そのチャンスをフイにしてしまったわけだ。


 だいたい「一世一元の制」(天皇一代で一つの年号)というのは、たかだか明治以来の“伝統”である。

 その前は一人の天皇の下でも(災害や戦乱があったとき)コロコロ年号は替わっていたのである。

 どちらかと言えば、間違いなくそっちの方が“真の日本の伝統”である。

 これを思えば新時代の年号は、「とにかく20年間で終わる」というように決めてもいいはずだ。

(仮に明治時代にそう決まっていれば、今ではそれが“守るべき日本の伝統”と思われていただろう。)


 なお最後に、約1年前に書いた下記の記事でも言ったことだが――

tairanaritoshi-2.hatenablog.com


 これからはもう、契約書とか計画書に“元号だけ”を使うのは金輪際やめることである。

 そういうのは、近未来の自社社員その他に対する迷惑行為以外の何ものでもない。

 もしこれからも“元号のみ”を使うべきだと主張する人がいれば、その人には「元号テスト」を課すべきである。

 昭和36年から平成14年(2019年5月以降の年号を使っても良い)までは何年間か、

 大正13年とは西暦何年か、その人は今何歳か、即答できなければむろん落第だ――

 つまり、その人間に「元号だけを使え」などと言う資格はない。