社会学者の古市憲寿(ふるいち のりとし。32歳)が、テレビ番組で
「基本的に現金は汚い。汚いものには触れたくないから、できるだけ電子マネーで払うようにしている」
「今時コンビニで現金を使うのは頭が悪い」
と発言して話題になっているようである。
私はこの人が社会学者であること、最近ネットでよく名前を見るコメンテーターであること以外に、この人について何も知らない。
著書を読んだことは一度もなく、動いている映像を見たことすらない。(私は基本的に地上波テレビは見ない。)
それだけの情報で直感的に思うのは、この人はわざとこういうトンガッたことを言うようにしているんだろうな、という印象である。
言ってみればプロレスにおける「悪役レスラー」のようなもので、世の反発や反感を買うようなことを言うことで客を(視聴率を)集める。
悪名もまた名声なり、ということで、そういう人はやっぱり需要があり“人気”を博すものである。
違いと言えば、悪役レスラーは「本当は優しい性格の人」「本当にプロレスが上手い人じゃないとできない」とされるのが“定説”であり、「悪役コメンテーター」についてはあまりそんなことが言われない点くらいだろうか?
かつてテレビ司会者の(本当は「ジャーナリストの」だが)田原総一朗は、“電波芸人”と呼ばれて批判された。
これはもちろん“芸人”を下に見ることが前提の批判だが、あえてそれになぞらえて言えば、古市氏は“学者芸人”とでも呼ぶべき人物なのかもしれない。
しかしこの人にもし人気があるのだとすれば、それはやはり「思ったことを(世の批判・反発など気にせず)率直に言う」と思われていることが理由の一つなのだろう。
そしておそらく、「現金は汚い」「現金を使う人間はバカ」というのは、本心の少なくとも一端ではあるのだろう。
そこで以下、この発言をマトモに受け止めて述べるものとする。
まず「現金は(誰が使ったかわからないから)汚い」という点。
「現金が汚い」というのは、圧倒的大多数の人が思いもよらなかった発想だろう。
この点は確かに、世の人の大部分が気づきもしない角度からの見方である。
しかしもちろんこういう見方は、現金を日常的に使う・扱う人への差別に直結するものだ。
こういう発言に日本の市井の労働者や労働組合(「連合」など)が猛抗議する気配もないというのは、いささか不思議なことである。
番組の中で司会の東野幸治は
「(コンビニで現金を使うのは)俺や! 頭悪い人ってどういうことやねん!」と声を荒げ、笑いを誘っていた。
とあるが、ここはぜひ
「食肉業界についてはどう思いますか?
ゴミ収集業とか清掃業をどう思いますか?
マッサージ師や漁師のことはどう思っていますか?」
などと聞いてほしかったものだ。
現金は汚いが、動物の死体やゴミやトイレ、人の体や生魚は汚くないとは、まさか言えまい。
そして現に「汚い現金を使っている人は頭が悪い」と言っているのだから、「そんな職業を選ぶ人は頭が悪い」と言えなくては嘘になる。
(しかし間違いなく、いかに「悪役コメンテーター」であってもそこまで言う度胸はない。
「思ったことを率直に言う」キャラにも、やはり限界のレベルは意外に低いのだ。)
こうして見ると、古市憲寿という人は“学者芸人”と呼ぶより“学者貴族”と言った方が正確かもしれない。
人間がいかに簡単に差別意識を持つものであるか、学歴や知性とはほとんど関係なくそうなるものであるか、その生きた標本とも言えるだろう。
「現金は汚い ⇒ そんなものを使う人間は頭が悪い」
これが昔の貴族が庶民を見下した差別心でないというのは、いかなる論客でも論証できないことである。
いや、これが「現金を支払いに使うと、列に並ぶ次の客を待たせることになる。それに現金払いだとポイントも溜まらない。だから現金払いする人間はバカだ」というならまだしもなのだが、はっきりと「現金は汚いから」と言ってしまっているのである。
それにしても「現金は誰が使ったかわからないから汚い、使いたくない」というのなら――
他人と握手するとか、大学の学生が出すレポート(紙であれば)なんかについても全く同じことが言える。
むろんセックスとか書店での立ち読みなんかも論外であろう。(通販だって梱包までに「誰が触ったかわからない」)
もしこれが偽らざる本心だとするのなら、もはや「学者芸人」でも「学者貴族」でもなく「学者病人」ではないかと思わないでもない。
日本の太平70年は、ついに「現金は(精神的にではなく)物理的に汚いから使いたくない」という人間を生み出した。
こういう人が増えるというのは、文明の爛熟というか退廃というか――
世界史のよくあるパターンでは、いずれ近いうちそんなこと考えもしない蛮族に滅ぼされる予兆である。
やはり日本はここらで一つ、大戦争や大災害でメチャクチャになるのが自然の成り行きなのかもしれない。
安保法制より何よりも、学者のこういう発言に需要があったり(面白い感性だと思ったり)共感する人がいるということの方が、はるかに鮮明な軍靴の響きのように思えるのだが……