プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

社会、ニュース、歴史、その他について日々思うことを書いていきます。【プロレス・格闘技編】はリンクからどうぞ。

藤井四段の連勝は29でストップ-彼は学校へ行く必要があるのか?

 7月2日、藤井聡太四段(14歳)が佐々木勇気五段(22歳)に敗れ、破竹の連勝記録は29でストップした。
 ところで彼は学校で、「授業をきちっと聞いているのに、なぜ宿題をやる必要があるのか」と主張して最近まで宿題を提出しなかったそうである。
(つい最近の5月上旬、学年主任を交えて「宿題は授業の一環で、授業を補完するから必要なこと」と説明すると、納得して提出するようになったらしいが。)
 また彼は、母に対して「学校に行きたくない(将棋にかける時間が減るから)」とブチブチ文句を言っているらしい。

 この「つい最近まで宿題を提出しなかった」ということを――
 “天才らしい、因習を拒否する織田信長のような反骨漢”と見るか、
 “天才だからって驕慢”と見るかどうかは、人の好みによるところである。
 しかし新聞記事には「納得して提出するようになった」と書いてあるが、私はこれ、決して納得したのではなく「妥協した」のではないかと思う。
 授業をちゃんと聞いているのに、何でその上宿題をやらなければならないか。
 これはまっとうと言えばまっとうな疑問であり、本当にそう思っているのならちょっと説得されたくらいで考えが変わることはないはずである。
 また「学校に行きたくない」というのも、彼の立場からすれば当然の思いだろう。
 将棋の道で生きていくと決めた(に決まっている)以上は、学校の勉強なんて完全な無駄である。
 いったいプロ棋士にとって、微積分いや因数分解を習うことさえ時間の浪費に他ならない。
(というか、世の中のほとんど全員にとって時間の浪費ではないかと思う。)

 もちろん親や一部の赤の他人は「それでも高校くらいは行っておいた方がいい」と言うものだが、当の本人が時間の無駄だと思っているのなら、通信教育で一人で勉強して高校・大学卒業資格を取った方がはるかにマシだ。
 だいたいもう、「進むべき道が自分の心の中で決まっちゃった人たち」にとって、その道以外の道は全く目に入らなくなるのが筋だろう。
 たとえば今のプロレス界最大のスターと言えば新日本プロレスオカダ・カズチカだが――
 彼の学歴は中卒であり、15歳でメキシコに渡りプロレスラーデビューした。
 こんな人は日本に10人もいないはずだが、しかしこれくらいの(常人ならざる)思い切りがあればこそ、スターになることもできるのだろう。
 果たしてオカダは、「高校くらい行っとくべきだった」だろうか?
 それは貴重な3年間を、単に無駄にするだけではなかったか?

 私は「天才」とか「早くも進路が決まっちゃった人たち」だけでなく――
 「勉強したくない人」、「勉強に向いてない人」、「イジメを受けている人」も、別に学校へ行く必要はないと思う。
 義務教育(小学校・中学校)すら行かなくていい、自学自習すればいいと思う。
 “いや、それはダメだ。行かなくちゃいけない”と言う人は、どうしてそんなに他人のことを気にかけるのか……
 というより、なんでその人のこと・その人の状況をほとんど知りもしないのにそんなことを言えるのか、極めて不思議に感じてしまう。
 
 なるほど確かに、じゃあオカダや藤井四段が万一途中で挫折したときは、周りから「あいつ中卒じゃねぇか」とバカにされる可能性はある。
 しかしそれは、中卒とバカにする世間の連中が悪い(醜い)のであり、そういう雰囲気を徹底的にバカにすることで消滅させるべきものだ。
 だいたい世の中の多くの人は、別に中卒でも充分やれる仕事をやっているのだから――
(あの松下幸之助の学歴が「小学校中退」であることからも、世界的大企業を興すには別に高卒・大卒でなくてよいのはハッキリわかる。)
 
 藤井四段には、どうか自分の希望と才能を十二分に伸ばす進路を選んでほしいものである。
(もちろん赤の他人のことなので、所詮はどうでもいいことになってしまうのだが……)