わずか10分程度の滞在であったが、小さな宇和島城の内部も一応紹介。
まず一階の周囲を巡る廊下だが、さすがに「むかし造り」というか、柱が重厚で野趣のある建築である。
ちなみに左端に映っているのは、宇和島城のお仲間である日本百名城(の代表的なもの)のそれぞれの写真。
こう言っては何だが、いささか安易な展示である。(もうちょっと宇和島独自の展示がありそうなものだが……)
そして廊下に囲まれたただ一室には、天守閣自体のミニチュア模型も置いてある。
こういうのが好きな人・欲しい人は数多いだろう。
急階段を上がった二階には、“現代墨絵”の画家である茂本ヒデキチ氏の屏風が展示してある。
これもまた好きな人が多いだろうから、じっくり見ると良いだろう。(どのみち二階にはこれしか置いていないのだから……)
そこには「櫛型門矢倉跡」と書かれた小さな杭標示が打ち込まれているが、それより“いかにも”な木の切り株が気になる。
この切り株の上に乗るという誘惑に屈しない人は少ないだろう。もちろん私も上に乗って城下を眺め、写真を撮った。
ちなみに私だけでなく、後で女性一人・男性一人も切り株の上に立ち写真を撮っていた。
今まで何千人がそうしてきたかと思うと、まことに感慨深い。
天守広場を下りるとき(下山するとき)は、もちろん上ってきたのとは別のルート(南ルート)を選択する。
そうすると「城山郷土館」というのがあるので、入ってみる。展示されているのは「郷土の偉人たち」である。
(教科書に必ず出てくる「大津事件」であるが、まったく今考えてもとんでもない事件だ。)
世論も政界も津田巡査を死刑にしろと沸騰したが、児島惟謙は「傷害罪で死刑にはできない」との立場を貫いた。
これは“司法権の独立を守った”として今でも激賞されている。
そして穂積兄弟の名は、大学で法学部だった人なら必ず聞いたことがあるだろう。
重信は今の民法の起草者の一人で、梅謙次郎と双璧をなす存在。
いやあ、まさか彼らが同郷者だったとは……
これは宇和島に来なければ一生知ることのなかった事実である。
なお、宇和島と言えば闘牛で有名なようだが、城山郷土館の玄関にも次回闘牛大会のポスターが貼ってあった。
なかなかファンキーな名前揃いで、読むだけで楽しくなってくる感じである。
これはひょっとしたら、闘牛を見るために再び宇和島に行く日が来るかもしれない――