前回記事には、(本件国有地の下にあるというゴミが)「有害物質であるとか放射性物質であるとの話は聞かない」と書いたのだが、2月21日付朝日新聞の記事を見ると、いささか事情は違うようだ。
まず元々の管理者である大阪航空局が2009年から2012年にかけて当該土地を調査したところ、浅い部分(3メートルまでの地下)から鉛や砒素の土壌汚染&廃材・生活ゴミ・コンクリートガラ等の地下埋蔵物が発見されていた。
一部表土からは環境基準を超える鉛と砒素が検出されたため、豊中市は2013年4月にその部分約472㎡を特定有害物質の汚染区域に指定している。
2015年5月、近畿財務局は森友学園と「10年間の定期借地契約&その10年内の売買予約契約」を締結した。(賃料月額は227万5,000円)
そして森友学園は、2015年7月29日から12月15日まで、土壌改良と埋設物撤去工事等を実施したとのこと。
土地全域の地下3メートルまで掘り返し、コンクリート片など720トン及び鉛などの汚染土1,090トンを除去した結果、汚染区域の指定は解除された。
私はてっきり、森友学園はゴミ撤去なんてほとんどやっていないのだろうと思っていたが、一応やったのはやったのである。
しかし(驚くべきことに――?)その費用1億3,176万円は「国が負担する」との合意書が2016年3月に交わされ、同年4月に国から森友学園へ振り込まれたというのだ。
いやはや、ホントに至れり尽くせりだが、しかし例によってこれにさえも理由は付けられる。
いわゆる「貸し手責任」「所有者責任」という理屈で、「本来所有者がやるべきことを借地人がやったのだから、当然その費用は償還すべきだ」とのストーリーである。
その後森友学園から、「地下にさらに大量のごみがある」との報告と「土地の購入を希望する」との連絡があり――
近畿財務局は2016年6月、鑑定価格9億5,600万円から(新規の)ゴミ撤去費として見積もった8億1,900万円などを差し引いた1億3,400万円で売却を行った、というのが一連の流れらしい。
私はこれ、「森友学園の最初のゴミ撤去に対し、国がその費用1億3,176万円を支払った」というところまでは、まだしも許容できるように思う。
(しかし、全面的にではない。森友学園が定期借地を始めた2015年5月には、もうすでに472㎡が汚染区域指定されていたのだ。
森友学園は「そんなこと知って」て借りたのである。国が土砂撤去費用を“考慮してやらねばならない”と考えるなら、それは賃料額に反映させるべきだったろう。
さらに言えば、汚染区域指定されていたのは全8,770㎡のうち、たった472㎡である。)
だがその後、「地下にさらに大量のごみがあるとの報告」と「土地の購入を希望するとの連絡」が同時にあったとなると――
これはもう、“だから安く買わせろよ”と「足下を見た脅し」をかけてきたようにしか思えないだろう。
森友学園はすでに、「地下3メートルまでのゴミ撤去」を終えている。
そのうえさらに深くまで撤去工事をしようなんて、(前回記事に書いたとおり)初めからやる気はなかったろう。
そんなことしなくても建物は建ち、別に開校に支障はないのだ。
(砒素があった(しかし除去されたはずの)472㎡の部分は、駐車場にでもすればよかったろう。アスファルト舗装してしまえば、地下3メートル以上のところにあるゴミなんてどうということはないのだから。)
さて、森友学園が4月に開校予定している「瑞穂の國記念小學院」という小学校には、安倍首相夫人の安倍昭恵氏が名誉校長に就任することになっている。
森友学園の総裁で校長の籠池泰典(かごいけ やすのり)氏は、ネオ右翼?として近年とみに有名な「日本会議」大阪支部の幹部であるとされている。
しかも瑞穂の國記念小學院は、当初は「安倍晋三記念小学校」という名前にするとして寄付集めをしていたという。
そりゃあ当然、安倍首相サイドから財務局・財務省への「圧力」「口利き」「配慮要望の伝達」があったと勘ぐられるに決まっている。
(むろん、国会で安倍首相がそんなこと断固否定するのも当然である。)
そして森友学園が、安倍首相の威光を笠に着て財務局に「押し買い」めいたことを仕掛けてきたというのも、非常に想像しやすいことだ。
(もちろん、森友学園はそんなことをしたと自分から言うわけがない。)
しかし仮に、もしそんなことが一切なかったとしても、それでも財務局側が「圧力を感じ」て森友学園を超優遇したことはあり得る。
安倍首相(に限らず、国会議員)の威光を帯びた相手に対しては「配慮しなければならない」と勝手に思うことはあるからだ。
そんな威光のない一般人に対するのと違い、「ひるむ」ことがむしろ普通だからだ。
みなさんはこれを「情けない」とか「けしからん」と思うだろうか。
しかし思うに、みなさんも今までに似たようなことをしたことはあるだろうし、今もするし、これからもすることがあるのではないだろうか?
ただここで言っておかなければならないこと、事実が証明していることは――
たとえそんな「配慮」をしてやったとしても、配慮された側はその恩を返すことは(絶対に)ないのだということである。
森友学園は「売買価格は、財務局から言ってきた」とか「取材には答えられない」とか言っている。
「深いところに大量にゴミがあったので、その分は配慮してくれとは頼んだ」などと決して言わない。
(しかしこんなこと、言ってないわけがないのだ。あなた、言ってないなどと思いますか?)
配慮を欠けた側を弁護してくれることなどないし、そんなことは誰でも初めからわかっていることである。
しかしそれでも人間は、ある種の相手に対して「配慮しなくちゃ……」と思ってしまう/行動してしまうものなのである。
ここには「宮仕えの人間」だけでなく、全ての人間が心得ておくべき教訓があると思う。
それは、「自分は断じて他人の便宜のため犠牲にならない」という鋼鉄の意志を持つことである。
何ならその相手に対し、「じゃあ私がこのことで窮地に追い込まれたらあなたは何をしてくれます? 助けに来てくれますか? そんなことしないでしょう?」と面と向かって言うことである。
これには相手も、グウの音も出ないはずなのだ。
(だって確かに、窮地を救おうなどという気はないのだから。
銃弾の前に手を広げて立ちはだかるなど、するわけないと自分でもわかっているのだから。)
かわいそうに財務局の人、森友学園に配慮した(圧力に負けた?)ばっかりに、いま窮地に陥っている。
そしてもちろん、森友学園の人は助け船など出してくれない。
これは近畿財務局ばかりでなく、あなたや私をいつ襲うかもわからない悲劇である。
哀れなるもの、汝の名は「働く者」なり――
こういう悲劇は、これからも何度も何度も繰り返されるに違いない。