天皇陛下の譲位(生前退位)の思し召しにより、政府は平成31年(2019年)1月1日をもって新天皇が即位し、同日付で新元号に改める方向で検討に入ったとのこと。
つまり、「平成」はちょうど30年で終わることになる。
1月1日から新元号になることと合わせ、実に合理的で良いことだと思う。(それまでに現天皇が崩御しない限り……)
さて、このことのついでに書いてみたいのは――
「もういい加減、文書で“元号だけ”を使うのは止めよ。
元号と西暦を併記するか、もしくは西暦だけにせよ」
ということである。
まず断っておくが、私は反天皇制の人ではない。
逆に天皇制は護持すべきだと考えている者である。(現存する世界最古の王家・王朝を断絶させるのはもったいない、という理由から。)
また、元号を廃止すべきだとも思っていない。
それは世界中で(事実上)日本だけに残った制度であり、ある種の文書(卒業証書とか、タイトルマッチ宣言書とか)に使われる場合は、何とも味わいを感じさせるものである。
しかし、あなたもきっと感じたことがあるはずだが――
とにかく昭和何年が西暦何年に当たるのか/その逆はどうかとか、西暦何年は平成何年だっけとか考えなくてはならないとき、ものすごくメンドクサイのである。
今でも日本社会には、元号ベースで使われている書類がたくさんある。
官公庁はもちろんのこと、かなりの数の民間企業でもそうである。
なかんづく「契約書」というものは、今でもやっぱり“元号だけ”で作成されることが多いのではないだろうか。
しかし、“元号だけ”の最も致命的な弱点は言うまでもなく、次の元号にまたがると途端に通算ができなく(難しく)なってしまうことである。
我々は今でも多くの出版物で、「****は昭和54年から平成7年まで続いた」などという文章を読まされる。
これを「結局それは何年間続いたのか」と暗算することは、多くの人にとって難しい。(あるいは時間がかかる。)
いや、昭和に25を足せば西暦になる(昭和54年=54+25=1979年)、平成に88を足せば西暦になる(平成7年=7+88=1995年)、ということを知っていれば――そして、これくらいならなんとか覚えていられようが――たやすいが、しかし「****は明治34年から平成7年まで続いた」などと書かれればもうお手上げである。
私は賭けてもいいのだが、大多数の人はこんな文章に出くわしたとき“読み飛ばしている”と思う。
結局それは何年間だったのか暗算できないし調べもしないまま、スルーしているに違いないと思う。(あなたもたぶん、そうでしょう?)
そしてむろん、「創業・天保**年」だとか聞くのは聞いても、それが西暦何年なのかはわからないままでスルーしている。
確かにどこかの店がいつ創業したのかなんてスルーして良いことと言えようが、しかしそれが「契約書」や「計画書」となると話は別だ。
元号しか書いておらず、それが西暦何年になるのかわからない(すなわち、西暦を併記していない)「契約書」や「計画書」は、本当に社会に手間をかけさせる害毒であると思う。
試みに、どこでもよいから市区町村のサイトを開いてみよう。そして「計画」のワードで検索してみよう。
そうすればたくさんの「****計画」がヒットするはずである。(外国はいざ知らず日本の市区町村とは、ナントカ計画まみれと言ってよいほどだ。)
その中から、計画期間が長期にわたる計画をクリックしてみる。
そうするとかなり高い確率で、“元号だけ”しか使っていない計画に行き当たることになろう。
あなたはそこに、「平成58年」とか「平成72年」とかいう表記を見る。(くどいようだが、それが西暦何年なのかはどこにも書かれていない。)
平成72年――いやはや、何というバカバカしい表記だろうか。
たとえ現天皇の長寿を願う尊皇家でも、平成が30年で終わるということがわかる前であっても……
“こんな年が来るはずはない”ことは、アホにでもわかる。
こんな表記にバカバカしさを感じない人というのは、明らかに感性が鈍磨している(イカレている)と思う。
むろん、こんな計画を作った人も、平成72年などというのがバカげた表記だとはわかっているのだ。
しかしおそらく、惰性なのか信念なのかその人なりの常識または良識なのか、とにかく“元号だけ”表記にしろ/すべきだと主張する人がいるのだろう。
そういう人はたぶん、平成が30年で終わるとわかったこの期に及んでもなお、計画書・契約書の日付は“元号だけ”で書くべきだと言うのだろう。
(だって計画書も契約書も“正式な”文書なのだから、と……)
当たり前のことだがこれは、何年後・何十年後かの後任者らに大迷惑をかけることになる。
「平成29年っていつだ? 西暦何年だ? 今から何年前なんだ? 何年経ってるんだ? 平成72年って、今なら(新元号)何年になるんだ?」と、しなくてもいい調べ物に時間を費やさせることになる――
これは明らかに、会社なり官庁なりの効率性を著しく損なうものだ。
それが社会全体で積もり積もれば、莫大な無駄時間を費やさせることになるのははっきりしている。
また契約書でも、たとえば土地賃貸借契約なら、その期間が20年・30年に及ぶことは普通である。
それなのに(この期に及んでまだ)「賃貸借期間は、平成29年4月1日から平成58年3月31日までとする」とだけ書くのは――
これはもう、他ならぬ自社社員に対する業務妨害と言うべきだろう。
私は、こんなことがわかっていてなお“元号だけ”を記載することに固執する人間とは、それこそ日本の効率性を損なう「国賊」ではないかと思う。
どうしても元号を書くべきだと思うなら、「契約期間は、平成29(2017)年から平成58(2046)年までとする」という風に、必ず西暦を併記すべきだと思う。
(しかし絶対に、「平成58(2045)年までとする」というように、元号と西暦が食い違う間違いを犯してはならない。それは絶対に後日の紛争を招くからである――
だがそれなら、やはり最初から“西暦だけ”表記にした方が良いことになる。)
いや、それでもやっぱり自分は、契約書や計画書の日付は“元号だけ”にすべきだと思う――
そういう人に聞いてみたいが、いったいあなたは日本史を“元号”で憶えてきたのだろうか?
関ヶ原の戦いは1600年、遣唐使の廃止は「894(白紙)に戻そう遣唐使」で894年、と憶えているのではないか?
もしあなたが「関ヶ原の戦いは慶長5年」、「遣唐使の廃止は寛平(かんぴょう)6年」と憶えているのなら――
他の年号もことごとく元号で憶えているのなら、私はむろんシャッポを脱ぐし、あなたには“元号だけ”を主張する資格があると(部分的ながら)認めてもよい。
しかし実際は失礼ながら、日露戦争の開戦年ですら明治何年だったか即答できないだろうと思う。
(それは1904年、明治で言えば37年のことである。むろん私もネットで調べてこれを書いた。)
もしあなたが会社でも上の立場の人であるなら、ぜひ“元号だけ”を止め、“西暦併記”を指導すべきである。
それこそが、あなたが日頃部下に言っている(そして、心底正しいことだと思って心がけている)「業務効率化」の第一歩というものではないだろうか?