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プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

社会、ニュース、歴史、その他について日々思うことを書いていきます。【プロレス・格闘技編】はリンクからどうぞ。

黒石市いじめ自殺少女写真事件の顛末-危機管理と連帯責任

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 先日書いた、青森県黒石市で「いじめ自殺少女が写った写真が、観光協会写真コンテストで市長賞を授賞しながら取消しになった事件」について――

tairanaritoshi-2.hatenablog.com


 10月19日に高樋憲(たかひ けん。58歳)・黒石市長とコンテスト関係者らが記者会見を行い、遺族に謝罪するとともに改めて市長賞を授与することとしたい、と表明した。

 市長賞を取り止めた理由については、「他市(浪岡中学校のある青森市のこと)が調査中の事案であり、公開されていない氏名や写真を公にしていいのかと思った」と述べた。

 そして20日に市長自ら少女の父・剛(つよし)さん(38歳)に面会し、来月のイベントで他の入賞作品とともに写真を展示することの了承を得た。

(ただし、撮影者自身が授賞を辞退しているため、市長賞を再授与するということでなく、「遺族提供」の形での展示に留めるようだ。)

 ここまでの経緯を時系列で示すと、次のようになる。


*******************************

(1) 10月11日

  黒石よされ実行委員会(黒石観光協会)が、当該写真を黒石市長賞に選ぶ。

  しかし、撮影者にそのことを通知した後、被写体が自殺した葛西りまさんだとわかる。

  よって遺族と撮影者の了解を取り、授賞を本決定した。

  授賞は17日に発表する予定だった。


(2) 10月13日

  高樋市長が、実行委に授賞の再考を要請。(青森市が調査中の事案であり、自殺者の写真を公にすべきでないと考えたため。)

  コンテスト関係者が協議。


(3) 10月14日

  高樋市長が、「多くの人に祭りを知ってもらうという賞の趣旨になじまない」と実行委に伝達。

  実行委が、撮影者に賞の辞退を求める。撮影者はこれに応じる。


(4) 10月16日

  実行委が遺族(父)に授賞内定を撤回することにした経緯を説明するが、納得を得られず。

  よって市長賞は「該当なし」とした。

(5) 10月18日

  遺族(父)が、授賞取消しになった写真を、地元新聞の東奥日報で被写体の氏名とともに公開。

  
(以上、ハフィントンポスト・朝日新聞産経新聞の10月19日記事から構成)

*******************************


 私は高樋市長と縁があるわけでも何でもないが(そもそも読み方も検索しないとわからなかった。「たかどい」かと思った)、この経緯を見る限り、彼を弁護する余地は大いにあると思う。

 この件を市長の「事なかれ主義」「朝令暮改」と叩くのはたやすいが――

 もし結果論でなく、そしてもしあなた自身が市長だったとしたら、やっぱり「授賞の再考を求め」たのではなかったろうか。

 おそらく10人中9人(いや、10人全員かもしれない)は、「これは危機管理案件だ/絶対にまずいことになる」と思って、高樋市長と同じことをしたのではないか。 


 あなたもまさか、「黒石市長賞」という名が付いているからと言って、市長が写真の選考に携わっていたとは思わないだろう。

 「この写真に市長賞を送る」という最終決裁を市長がしたわけではなく、決定後に観光協会から伝えられたに過ぎないだろう。

(そんなこと報告されることさえなかったかもしれない。だいたいこのコンテストは黒石市役所ではなく、別組織の黒石観光協会の主催だ。)


 だから高樋市長が「これは自殺少女の写真だ」と初めて知ったのは、(おそらく10月12日に)「実は、こういうことがあって遺族と撮影者に了解を取りました」ということを観光協会ないし観光関連の市職員から伝えられた時なのだろう。

(そしてたぶん、このことを観光協会から聞いた市職員は、「いや、これはまずい。上司・市長に言わねば」との義務感を覚えたに違いない――あなたでもきっとそうなったように。)


 正直、まっとうな危機管理意識がある人間なら――いや、人並み以上に危機管理感度の高い人間なら、誰もが高樋市長になっていたと思わないではいられない。

 もしそのままストレートに授賞されていれば、

「自殺少女の姿が最高賞に――波紋と疑問」

 などといった見出しの記事が新聞やネットに載り、青森市とか教育評論家あたりが「写真そのものは素晴らしいが(そして遺族の了承があるとはいえ)、調査中の事案なのに自殺少女の写真を公にすることは配慮が足りない/不適当/亡くなった子の人権がどうたら」などと言う光景が、いかにも浮かんでこないだろうか?

 一言で言えば、高樋市長はババを引いたのである。

 対応を誤ったも何も、どうやったって叩かれる案件に遭遇してしまったのである。

 本件から導かれる教訓と言えば、「おちおち写真コンテストもやっていられない」「選ぶなら、被写体は人物でなく風景で」というオチになるのではないだろうか。


 もうずいぶん前から、「管理職になりたくない社員が増えている」と言われている。

 その一因として、「自分がやったことでもないことの責任を取らされるから/矢面に立たされるから/そんな事態がいつ舞い込んでくるかわからないから」というのは、相当大きなウェイトを占めていると思う。

 自分が支持したにもかかわらず部下に責任を押しつける「トカゲのしっぽ切り」がみんなから批判されるのは当然にしても、

 「自分がやったのではないにもかかわらずトップだからと叩かれる対象になる」ことについては、逆に大勢が肯定しているように見える。

 私はこれは、やはり「連帯責任主義」の一環だと思う。

 江戸時代の五人組や戦時中の隣組といった言葉を持ち出せば、決まって拒否反応・「悪しき制度」だといった反応が起きるが――

 しかしその実、全員とは言わないまでも大勢の人は、連帯責任というものは正しいもの/あるべき姿だと思っているのではないだろうか?

 子が犯罪や不祥事を犯したら親が謝罪して当然と思うとか、

 どこかの組織の一員が何かやったら、その組織に属する(電話に出た)別の一員を激しく罵るとか――

 そういう思考や行動は、連帯責任主義が正しいと思っていなければ決してできないことである。


 もちろん連帯責任主義とは、ニンゲンどうしの間に「繋がり」があることを前提としている。

 いや、連帯責任を負うべきだ/負って当然という意識が先にあって、そのために「繋がり」を設定する、という順番の方が実態だろうか。

 私はそういう連帯責任というのは、何かを抑止するために法律で定めてこそ、初めて成立するものだと思う。

 組織のトップだから一員どうしだからといって、自動的に生じるものでは絶対にないと思っている。

 
 高樋市長が内心「くそ、ババを引いた。運が悪かった」と思ってるんだろう、と叩くのはこれまた簡単なことである。

 しかしあなたも私も、同じ立場なら必ずそう思うに決まっている。

 果たして、次に高樋市長になるのはいったい誰だろう?

 それが誰かは特定できないにしても、これから延々と何人も生まれてくるのだけはわかっている。

 それはあなただったり、あなたの家族かもしれない――交通事故に遭うのと同じように。