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プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

社会、ニュース、歴史、その他について日々思うことを書いていきます。【プロレス・格闘技編】はリンクからどうぞ。

いじめ自殺少女写真の受賞取消しと公開-いいかげん「繋がり」という鎖を断ち切れ

 また、いじめ関連のニュースである。

 青森県黒石市の黒石観光協会が主催する「黒石よされ写真コンテスト」で黒石市市長賞(最高賞)を受賞した写真が――

 その被写体がいじめ自殺した少女のものだったため、受賞取消しとなり激しい批判を浴びているという。

(写真は、東奥日報から引用)

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 被写体は、自殺当時に青森市立浪岡中学校2年生(13歳)だった「葛西りま」さん。

 彼女は学校で万引き強要・トイレでの暴力・現金カツアゲ・私物破棄などのイジメを受けた末、2016年8月25日に電車に飛び込んで自殺した。

 そしてこの写真は、そのたった10日前の「黒石よされ」でりまさんが披露した津軽手踊りのシーンを、何の関連もない一般人が撮影したものとのこと。

(「黒石よされ」は日本三大流し踊りの一つらしい。私は全然知らなかったが。)


 黒石観光協会がこの写真を黒石市長賞に選んだのは10月11日、しかし被写体がりまさんだと知ったので遺族の了解を取り、授賞を本決定した。

 しかし10月13日に誰かから「亡くなった人を審査対象にすべきでない」と指摘されて再協議し、一転して授賞を取り消した。

 その理由は「祭りを盛り上げる狙いを考えると、違和感があった」「写真が公になり、さまざまな臆測が出ることを懸念した」というものらしい。

 そして遺族(父親)の剛(つよし)さん(38歳)は撮影者からデータ提供と公開の許可を受け、「娘の笑顔を世間に知ってもらい、いじめをなくしたい」として写真としなさんの本名を公開した、との流れのようだ。

(以上、朝日新聞デジタル10月18日記事などから)


 さて、もしこの写真の被写体が自殺少女のものだと初めからわかっていれば、もちろん黒石観光協会は何の賞にも選ばなかっただろう――たとえこの写真が、どんなにずば抜けて素晴らしくてもだ。

 これは「事なかれ主義」「隠蔽主義」「面倒を厭がる主義」として叩かれるべきだろうか?

 いやいや、あなたも当事者なら必ずそうしていたはずである。

 それはもちろん面倒やトラブルになるのを厭がるから、誰かからクレームを付けられるのにビビるからである。

 むろん選定するとき、初めから「この被写体は誰か」などと調査するはずがない。(あなただってしない。)

 授賞して(注目されて)初めてそれに意識が向かう――

 そして結果論だが、自殺少女だと知った段階で、遺族の了解なんか取りに行かずに「やっぱり授賞は止めよう」としていれば、何の問題も話題にもならなかったろう。  

 そして黒石観光協会の「祭りを盛り上げる狙いを考えると、違和感があった」「写真が公になり、さまざまな臆測が出ることを懸念した」との理由も、よくわかると言えばよくわかる理由である。

(しかしそれなら、やっぱり被写体が判明した時点で完全に授賞を取り消せばよかったと思うが。)


 それにしてもこの案件、当初の予定どおり授賞させようが授賞取消しにしようが、どっちにしても批判を浴びていたケースであるとしか思えない。

 授賞させれば「イジメ自殺した少女の写真を公にして見世物にするなんて、何を考えてるんだ」と批判されたろう。

 授賞を取り消せば今回のようにボロクソに叩かれるだろう。

 これに関わった人から見れば、本件はほぼ完全に「ババを引いた」案件である。

 交通事故と一緒で、こういうことは誰の人生にも思いも寄らない形で起こり得るものである。


 さて、しかし根本的に、葛西りまさんを自殺に追いやったのは誰だろう。

 こんな笑顔を見せる少女を10日後に自殺させるほど追い込んだのは誰だろう。

 それは悪の組織か、右傾化する国家権力か、独裁者の陰謀か?

 もちろん違う。それは「身近な・そこらの庶民」である。


 このブログでさんざん書いてきたことだが、我々にとって最大の敵は外国勢力などではなく、「身近な他人」に他ならない。

 葛西りまさん(そして他の大勢の子どもたち)をイジメ殺したのは国家でもなく北朝鮮でもイスラム国でもなく、同じクラスのガキどもである。


(私はこういうことをなくすため今すぐにでもできるのは、「2016年当時の浪岡中学校2年生」をリストアップしておき、将来の就職採用活動の際に参考にすることだと思う。

 このようなデータベースを作成しておくことは、かなり商売になり得るだろう。

 しかしこれについては本記事では深く書かない。詳しくは

tairanaritoshi.blog.fc2.com

 など一連の記事を参照されたい。)


 これも何度も書いてきたことだが――

 いいかげん我々は「たまたま近くにいるだけの人」に「繋がり」を感じたり、「繋がり」があるべきだなどと考えることを止めるべきである。

 たまたま同じ学校にいる人、たまたま近くに住んでいる人、たまたま同じ職場に働いている人と自分とは、何の繋がりもないのだという真実をいいかげんわかるべきである。

 我々はお互いただのニンゲンなのであり、目に見えない得体の知れない繋がりなど全くない。

 これを真実だと思わないのは、ただ宗教を(つまり超自然現象を)信じるときのみである。

 たかが同じ学校・会社にいるというだけで、たかが同じ日本に生まれ生きているというだけで、超自然的な「繋がり」がある/あるべきだと感じるにはそれしかない。

 現代日本人であるあなたはきっと宗教を信じていないし、バカにもするしキモいものとも思っているだろうが、だったらその手の「繋がり」に対しても同じ態度を取って然るべきだ。

(これについては『尊敬なき社会』(上・下)で詳細に書いている。)


 我々は、「たまたま同じ地域に住んでいる者を同じ学校に(ほぼ強制的に)行かせる」学校制度をいつか廃止しなければならない。

 いつでもどこにでも転校できる制度に変え、それどころか「学校に行かねばならない」などという制度と意識をいつか絶滅させねばならない。

 はっきり言って先日の「電通過労自殺事件」でも、根本にあるのはこの「繋がり」という化け物的な意識である。

 そんなのがあるから、たかがカネ稼ぎの職場が封建両国化・土人国化して人を精神的に追い込むのである。


 これはかえって、宗教めいた言い方になってしまうが――

 人類が(特に日本人が)真に救済されるのは、「繋がり」なんてものをゴミバコに叩き込んだときだけだろう。

 自分自身の好みで選んだ者だけと繋がり、望まない/意図しない繋がりは一切持たないでよい社会になったときだけだろう。

 そしてそれは、たとえ遠い将来のことであっても、いつかは全人類的に訪れる社会である。

 第一あなた自身も、そういう世の中を志向し望んでもいるはずである。

 その方向に社会を加速させるため、世の中の流動性を増すこと(転職や転校を容易にすること)は何でも試してみるべきだ。

 そういう社会を望む人々をどんどん増やし、そうでない連中をバカにしていけば……

 別に大量虐殺などしなくても、いずれ彼らは絶滅に追いやられるはずである。

(どうせなら宇宙時代になり、そういう人たちだけどこかの惑星に集まって生きてくれてもよいのだが)