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プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

社会、ニュース、歴史、その他について日々思うことを書いていきます。【プロレス・格闘技編】はリンクからどうぞ。

3DCG美少女「saya」、何でわざわざブスを創ろうとするものか――美人の需要と供給と

 むろん、漫画やドラマと、現実とは違う。

 そんなことは言われなくても誰でもわかっている(口に出してもそう言う)ことではあるが――

 しかしその手のコンテンツが幼少時から周りに溢れ、大人になってもずっとそのままであるとしたらどうだろう。

 美男・美女や夢物語が身近に豊富にあるとすれば、やはりそれはもう一つの(かつ、はるかに好ましい)「身近な現実」なのではないか?


 女がブオトコと恋愛したい/抱かれたいと思わないのは当然である。

 男がブスと恋愛したい/付き合いたいと思わないのも当然である。

 ブスとブオトコが愛し愛されることなど、誰も見ようとは思わない。

 好奇心を持って見たいと思うのは別として、感動を持って見ようとは思わない。(また、現実にそんなことは不可能なのだ、心理的に。)


 あなたが恋愛ドラマの配役(キャスティング)を担当するとして、ヒロインにブスを配するという案が採用されるなどと、どうして本気で思えるだろう。 

 そもそもヒロインに美人以外を配そうなどと、真面目に思いつくこと自体がないだろう。


 そう、美人資本主義を作り出し維持しているのは、何も需要側だけに起因するのではない。

 むしろ供給側にこそ、より大きい原因があるとも言える。

 つまり、誰もブスを創造(採用)しようとは――創造(採用)したいとは思わないのだ。

 これは女性型アンドロイド・ロボットを作るとき、ブス型にする動機などあるはずもない(そして、実際に作られることもない)ことを考えればよくわかる。

 折しも、3D×CGで作った美少女画像最新版のニュースがネットに載っていた。

nlab.itmedia.co.jp

 この「美少女」は超絶レベルではないが、いかにもそこらにいそうな自然レベルの美少女ではあると思う。

 しかしそんなことはともかくとして絶対確実に言えるのは、受容する側はおろか作り手の側も、わざわざブスを作り出す気には決してならないことである。


 美人資本主義のことなど何も知らない童女はおろか、日本で最も強硬なフェミニストやその団体でさえ、女の子のイラストを書けと言われれば美人を描こうとするだろう。

 女性の権利や「女を顔で判断する」のを糾弾する啓発ビデオ・プロモーションビデオを作ろうとするときでさえ、間違いなく主人公には(そこそこの)美人を使う――

 換言すると、選考段階でブスを振るい落とすに違いない。

 それは、「ブスを使えば笑われる/受け入れられない」から仕方ない/苦渋の決断だなどという“他人のせい”ばかりではなく、「美人を使いたい/使わねばならない」という自分自身の内面からの欲求があるから――

 と解するのは、はたして間違っているだろうか?


 そんなに遠くない将来、人間型アンドロイド・ロボットは確実に街を歩くようになる。

 それが生体素材であり、心まで持つことになれば、もはや生身の(天然の)人間と区別できない。

 あるいはそれは実体を持つことすらなく、3D映像でありながら質感・触感・量感を備えた「生きた映像」として現れるのかもしれない。

電荷なんかを調整すれば、そういうことも可能なのではないか? いつの日にか……)


 むろん彼女らが全員美人であることは、全く疑う余地がない。

 こうなると生身の女性――美人に調製されていない天然生まれの女性たちに、ほとんど勝ち目はなくなるだろう。

 まるで「日本に生まれたこと」だけで外国人に対する優位を誇る/主張する人のように、「天然で生まれてきたこと」をアピールするしかなくなるだろう。

 天然女性は、まるで民族主義者のような心情を持つようになるのではないかと思われる。


 しかし男性というのは、女性よりはるかに「作り物」に対する親和性が高い。

(二次元美少女に魅了され、カネをつぎ込む男性がいかに多いかを思えばわかることである。)

 人間と人間の間から生まれてきた「天然もの」だというだけで、美人資本主義の世を上層レベルで渡っていくのは相当難しいのではなかろうか。

 もちろん「天然もの」「自然素材」を重視する感性は若い世代にもかなり根強いものがあるが――

 それでも尊重されるのは「天然の美人」であって、「天然のブス」では絶対にないことは論を俟たない。