プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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生身の人間は、コンテンツ内の登場人物に常に劣る。よって身近な人間に惚れにくくなる

 現代の男性はどこを見ても何をやっても美人ばかりの環境にある、だから恋愛するなら美人とでなければダメだ/それが当然だと自然に思うようになる――

 と前に述べたが、事情は女性にとっても似たようなものだ。

 少年少女向けのアニメや漫画、それより上の年齢層向けの実写ドラマや映画や漫画。

 そのほぼ全ての主人公(ヒロインと、ヒロインのお相手)は常に美男美女である。

 ブス・ブオトコが嵌め込まれることは、あったとしても極めて稀――

 いや、男の方が冴えないことはあるにしても、女の方がブスであることは絶対にない。


 私は女性向けの恋愛漫画などの愛読者では全然ないが、それでもヒロイン(もちろん美人だ。たとえ地味子に描かれていてもそうだ)のお相手が、クール系の美青年であることがほとんどなのはよくわかる。

(これもネットを見ていれば嫌でも目に入る。)

 彼らはキリッとして涼やかな顔で背が高く、時に優しく時に強引。ついでに言えば、カネに困っている風でもない。

 そしてレイプ同然の迫り方をしてもなお、ヒロインと読者をドキドキさせるよう描かれている。(のだろう、きっと)

 まさにネットスラングの「ただしイケメンに限る」を地で行くような話だが、むろんこれは読者の需要に応えるための描写である。

 しかし、いかにイケメンで背が高く、頭がよくて仕事もできスポーツも得意なエリート美青年であろうと――

 仕事をしている以上は、上司や客に怒られたり凡ミスをするなどという無様なシーンを人に見られることがあるはずだ。

(“まっとうな”職場ならなおさらそうだ。それがない、などということは、それこそ夢物語だろう。)


 人間誰しも、いつもクールでカッコよく、深みのある態度を取っていられるわけがない。わたわたする場面がしょっちゅうあってしかるべきである。

 しかしもちろん、ヒロインのお相手がそうなるシーンは、漫画やドラマでほとんど滅多に描かれることがない。

 逆に、まるで一人でいるときも常にクール系であるかのように描かれている。

 それはやはり、そんなシーンを見たいという読者の需要がないからである。

 これに反して現実に身近にいる男性については、しょっちゅうそんなシーンを見ることになる。


 「自分にとってのヒーローには会うな。失望するから」とか、「その召使いにとっては、どんな偉人も偉人ではない」という言葉がある。

 生身の人間と身近に接すれば、失望や物足りなさ・フィーリングの合わなさ・気にいらなさを必ず感じるものである。

 その言動に「は?」と思ったり、カチンとくることがあるものである。

 逆に漫画やドラマを見るときは、自分の方を登場人物や作品中の雰囲気の中に能動的に合わせようとする。

 男にとって身近な女が、女にとって身近な男が、常に物足りないイマイチな存在と映るのは、不思議なことでも何でもない。