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プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

社会、ニュース、歴史、その他について日々思うことを書いていきます。【プロレス・格闘技編】はリンクからどうぞ。

感動ポルノ、本物ポルノ。創作物は全て「感動」というウケを狙う

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 ようやく涼しくなってきたので、ブログを書ける頭の状態になったようだ。

 8月28日のNHK教育テレビEテレ)の番組「バリバラ」が、「検証!『障害者×感動』の方程式~笑いは地球を救う~」と題して生放送したのが話題になっている。(「大反響を呼んでいる」そうである。)

 これが話題になった最大の要因は、まさに障害者で感動させる系の筆頭である日本テレビの人気恒例シリーズ、「24時間テレビ39 愛~これが私の生きる道~」の完全な裏番組であった点だろう。

 私は24時間テレビもバリバラも見てはいない(放送されていたことも知らなかった)が、バリバラの方は――

 スタジオ出演者たちが(24時間テレビのシンボルである)黄色のTシャツを着用し、「感動ドキュメンタリー 難病なんかに負けない!~これが私の生きる道~」という題の障害者ドキュメンタリーのパロディ映像を流したらしい。

 まったく完全に日テレに正面・全面戦争を仕掛けた感じであり、NHKもずいぶん「攻めの経営」をするようになったものである。

 そしてバリバラの主題は、障害者を感動を引き出すネタとして使う「感動ポルノ」というものだったそうで、この感動ポルノという言葉はオーストラリアのコメディアン兼ジャーナリストのステラ・ヤングさんの造語というのも初めて知った。

(コメディアンとジャーナリストというのはちょっと意外な組み合わせだが、日本でもお笑い芸人がバラエティニュース番組に出ているのは普通のことなので、外国でもそういうことがあるのだろう。)


 さて、ここでいう「大反響」とは、もちろん「よく言った!」「そのとおり!」という反応が大きかったということである。

 とはいえ、障害者を感動のネタに使うな/使ってる――そういう非難は、24時間テレビが始まったずっと昔からあったと思う。

 私と言えば、やっぱりいかにも「感動押し売り!」みたいな話を見たいとは思わないため、今まで一度も24時間テレビを見たことはない。

(たまたまテレビを付けたらやっていたのを、一瞬くらいは見たことがあるが。)

 しかしそれでも思うのは、そういう番組が39回も続いているということは、やっぱりこういう番組には需要があるのではないか、見たい人がかなり多いからではないか、ということである。

 そしてそのこと自体には、別に文句を付けようとは思わないのである。


 「障害者を感動のネタに使っている」というのは、「障害者を感動のズリネタに使っている」と言い換えられる。

 そういうことは不道徳だから止めろ、もうそういう番組作りはするなということなのだろう。

 しかし思うに、テレビ番組にしろ本にせよ、およそあらゆる創作物とは、広い意味で人の感動を引き出すことを目的に(動機として)作られるのではなかろうか。

 何も「涙を流させるほど人の心を震わせたい」からばかりではない。

 「こういうことを知ってほしい/知らせたい」、「考えさせたい」「役に立たせたい」「オッと思わせて買わせたい」――

 これらは全て、人の心に何かを感じさせ動かしたいという動機である。

 そういう動機・動因がなくて何かが創作されるなど、絶対に100%あり得ないことだと断言してよい。


 もし障害者が感動のズリネタに使われているというなら、失恋や人間関係や人の死や戦国武将・武士の最期などは、それ以上に感動のズリネタに使われている。

 そういうことが不道徳だというのなら、この世の創作物は全て不道徳で不純で不謹慎なものである。

(だってそれらはことごとく、何らかの感動を引き出すことを目的に作られているのだから。)


 そしてまた思うに、この「感動ポルノ」の話は、本物のポルノのことによく似てもいる。

 日本人男性ならたいてい見たことがあるだろうし、ほとんど毎日見ている人もいるだろうが――

 ネットで視聴できるアダルトビデオ(AV)・アダルト動画(のサンプル)の数というのは、まったくものすごいものである。

 そして中には、「誰がこんなの見るんだ」というのも多くある。

 そう、女の子がカエルや虫を踏み潰したり、ウンコを体に塗りたくったり食べたり、そういうのがけっこうたくさん出ているのだ。

 いや、それよりはるかに大勢力なのは、母と息子がヤるという母子相姦ものである。

(これ、官能小説界でも相当の一大勢力であると思える。)


 母と息子が交わるなど、ほとんどの人にとってはグロくて見る気にならないだろう。

 しかし現実にそういうテーマのが日々量産されているのであって、それはもちろん日本における当該テーマの需要と選好の大きさを意味しているに決まっている。

 そのことを考えると、日テレという一テレビ局が「障害者で感動しよう!キャンペーン」を行なったとしても、たいして異とするには当たらないと思うのである。


 また同時に、たぶんあなたは、いくら自分は近親相姦ものなんて絶対見ない/見る奴なんて変態でロクでもない奴だ、と思おうと――

 だからといって、ああいうのはけしからんから廃絶しろと本気で思うほど宗教的人格ではないはずである。

 なるほどあんなのを好んでみるなんて信じられないしキモくもあるが、それはそれで見たい人がいるのだから仕方ない、オレは見ないがね、と思うのが普通の感性ではないだろうか?


 アントニオ猪木は「見たくない奴は見に来るな」と言った。

 そして我々は、「見たくなければ見るな」と自分にも他人にも言えるし、自分で実行することも簡単にできる。

 世の中には、障害者で感動したい人がいるのである。

(そしてたぶん、そういう番組に進んで出たい障害者もいるのだろう。)

 そして日本テレビに限らずテレビ局とは、「社会道徳護持機構」でも何でもなく、ただの放送業者・商売人なのである。

 障害者をネタに世間のウケ狙いを狙ったからって、何の不思議があるだろう。

 だいたい世の中の商売人とかクリエーターとかは、平たく言えば「世間のウケを狙っている人」であり、それが使命であり食い扶持でもあるものだ。

 障害者の感動ポルノを見たければ見ればいい、見たくなければ見なければいい。

 それが不道徳でけしからん(あるいは、面白くない)という雰囲気が広まれば、需要も選好も減退し、わざわざ商品にしようという動機もなくなるだろう。

 どうもここを先途と24時間テレビを叩くという行為は、テレビリモコンが固定でもされているのか/強制視聴を余儀なくされてでもいるのか、という疑いを招きかねないものだと思える。