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プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

社会、ニュース、歴史、その他について日々思うことを書いていきます。【プロレス・格闘技編】はリンクからどうぞ。

ヒトラーと植松聖―悪の大人気キャラ、悪魔崇拝の守り本尊

 相模原市の障害者施設大量殺人事件の犯人・植松聖(うえまつ さとし。26歳)は、2月下旬の緊急措置入院中、病院のスタッフに「(自分には)ヒトラー思想が降りてきた」と話したそうである。

 その前、2月19日から20日にかけての神奈川県警津久井署員との面談中には、「世界に8億人の障害者がいて、その人たちに金が使われている。それをほかに充てるべきだ」と時折いら立つような様子もみせながら淡々と述べ、ナチス・ドイツを肯定する発言もし、これが措置入院の決め手の一つとなったらしい。(毎日新聞7月28日記事による。)

 凶悪犯罪史を囓ったことがある人なら、「またヒトラーか」と思うに違いないだろう。

 大量殺人犯・猟奇殺人犯がヒトラーの名を持ち出したり心酔していたりする例は、枚挙に暇がない。

 有名どころを挙げると、イギリスのムーアズ連続殺人事件(1963~1965)。

 ナチス思想に心酔したイアン・ブレイディとマイラ・ヒンドリーのカップルは、二人して十代の少年少女5人を拷問殺害した。

(ブレイディは1938年生まれで、イギリスの刑務所でまだ生きている。)

 世界の殺人史を扱った本を読めば、他にもいくらでもナチスヒトラーに心酔した極悪変質者たちの例を見ることができる。


 なぜ彼ら(時には彼女ら)は、揃いも揃ってヒトラーに傾倒するのだろう。

 それはもちろん、ヒトラー及びナチス現代社会における絶対悪だからである。

 何かにつけてヒトラーが引用され、悪い喩えや人を非難するときに使われる。

 ここまで「悪い」とされていれば、かえって人を引き付けるものだ。


 実際ヒトラーは、古今東西の世界史上で最も人気ある歴史キャラの一人ではないだろうか? 

 おそらく軍事ファンのかなりの割合は、他のどこよりナチスドイツ軍に興味を持ち、熱心なファンでもあるはずである。

(ことに日本人にとっては、ドイツ語の名称がやたらかっこよく聞こえるのも一因に思える。)

 そんなのをキモいと思う一般社会の人間においてさえ、悪より善に興味・関心を持っていることは商業的事実により立証されていると思う。

 『世界悪人列伝』という本は刊行されても、『世界善人列伝』などという本は刊行されない。

 仮にそんな本が出ても、おそらくそれは面白おかしく書いたパロディ本・ギャグ本のたぐいだろうし、タイトルを見ただけで世間もそう受け取るだろう。

 善人より悪人の方が面白い、魅力的だ――

 こう感じることは、ほとんどの人間に備わった属性であり本能とも言えるような気がする。

(そして、人に向かってそう口に出すことが「かっこいい」とか「自分の感性のアピールになる」という風潮もあろう。)


 ヒトラーナチス現代社会における悪の権化であり、邪悪の代表例である。

 そしてまさにそれゆえに、現代社会になじめない者・不満を持つ者・上手くやっていけてない者・根っから反抗的性格を持つ者にとって――

 ヒトラーナチスはかつての大悪魔バフォメットを凌ぐ悪魔崇拝の対象となり、希望の光・暗夜の灯火(ともしび)ともなる。

 その影響は当分消えず、今後もヒトラーに魅了され傾倒した極悪犯罪者は輩出し続けるに違いない。(たぶん22世紀になっても、まだいるはずだ。)

 彼らにとってナチスの優生思想(劣った者は除去すべき、社会に害をなすユダヤ人や障害者も抹殺すべき)は、いつだって心の支えである。

 もちろん、いつだってその「劣った者」「害をなす者」の中に、自分が含まれていることはない。

 ゴクツブシの狂人にとってさえ思想の後ろ盾が必要であり、同時にいつだって「自分だけは例外」原則は働くものであることが、よくわかるというものだ。


 では、ヒトラーの思想に感染することを防ぐには、ヒトラーの著書『わが闘争』を発禁にするとか、ナチスを思わせる「魅力的な」キャラや軍隊をアニメ界ほか創作世界から追放すればよいのだろうか?

 しかし、そんなことをしても無駄であるのはわかりきっているように見える。

 ヒトラーナチスもその存在を世の中から抹殺することはできないし、「間違った、偽善の一般社会」がそんなことをすれば、反抗分子はますます惹かれのめり込むのがオチだからである。

 逆に最も有効なのは、「ヒトラーに惹かれ・のめり込む者をバカにする」雰囲気を醸成することだろう。

 要するに彼らを、「人に影響されやすいバカ」とみなすことである。

 人間は、ワルとみなされたり恐れられたりすることには耐えられる――いや、むしろ喜びさえする。

 しかし、バカにされることは耐えられないものである。


 イアン・ブレイディは、他愛もなくヒトラー思想に雷同したバカである。

 マイラ・ヒンドリーは、そんな男に惚れた(よくあるタイプの)バカ女である。

 そしてまた植松聖も、ヒトラーという他人の言うことに、手もなくイチコロにされたバカであった。

 どうもナチズムという思想は、危険思想と言うよりも、バカの頭にこそ簡単に「降りてくる」傾向があるようだ――

 これが社会の共通認識となったとき、極悪人がナチズムになびくことは減少するだろう。

 いくら「自分だけは例外」ぶっても、いかなる凶悪・極悪人も社会の雰囲気の中におり、その影響から無縁でいられないからである。

 「社会を震撼させる極悪人」であることは誇れても、「簡単に他人に影響されるバカ」とは思われたくない。

 このはなはだ人間らしい「想い」を、我々は利用すべきである。