プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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トルコ・クーデター未遂事件と日本国憲法前文

 7月15日夜、トルコ軍の一部がクーデターを起こしたがアッという間に失敗、市民・警察官161人が死亡した他、反乱兵104人が殺害されたそうである。

 これを書いている今現在、同国エルドアン大統領はクーデター派と見なされたおよそ6000人を拘束、黒幕と見られるイスラム教ギュレン教団の指導者・ギュレン師の引き渡しをアメリカに求めたとのこと。

 私はむろん、トルコ情勢に詳しいわけでも何でもない。

 そこでネットを見てみたのだが、私なりにまとめると次のようらしい。


(1) 現代トルコはイスラム教国だが、国是は「政教分離」である。

(2) しかしエルドアン大統領は独裁的・強権的手法で、次第にイスラム色を強めてきた。

(3) ギュレン師率いるギュレン教団は世俗主義を認める「穏健派」イスラム教団であり、軍や国民の間にけっこう浸透している。
 (人口7800万人のうち、650万人いるとも言われる。)

(4) エルドアンとギュレンは協力関係にあったが、最近は仲違いして対立している。

(5) トルコ軍は「政教分離の守り手」という意識が強く、エルドアンのやり方に不満・反感を持つものが多かった。

(6) ギュレン師自身は、今回のクーデーターへの関与を否定している。


 まとめるとは言ったものの、どうにもよくわからない構図である。

 まことに中東情勢は複雑怪奇であると感じる。

 エルドアン率いるトルコはイスラム国と対立している(アメリカに空爆基地を提供している)が、政教分離の国是を外れてイスラム教色を強めているという。

 それに対して「政教分離の守り手」であるトルコ軍の一部が蹶起したというのだから――

 現代日本人からすれば、このクーデターは成功した方がよかったんじゃないかと思えてしまうのではないか?

政教分離が正しいというのは、今の日本人の共通価値観だからである。) 

 私はこのクーデター未遂事件に関し、詳しく述べる知識が全くない。よって、思いついたことだけを書く。

 それは、日本国憲法の前文についてである。


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 そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。

(中略)

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

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 私がこれを初めて読んだとき感じたのは、「人類普遍の原理」にしろ「政治道徳の法則は、普遍的なものであり」にしろ――

 これは「決めつけ」であり、「思い込み」ではないかというものであった。

 いや、もっと言えば、「思い上がり」とさえ思える。

 政治道徳の法則が普遍的なものであるなど、いったい誰が言えるだろう。

 国政の権威が国民に由来し、その権力は国民の代表が行使することが人類普遍の原理であるなど、どうして決めつけられるだろう。

 実際世界には、国政の権威が宗教や神に由来するとする人たちが(まだ)いるのである。

 政治道徳の法則が国や民族によって違うなど、ほとんど自明のことではないかとあなたは思わないだろうか?

 そしてもしこういう立場を取るなら、“普遍の原理/政治道徳の法則”を認めない勢力に対して、日本国憲法はどう対応すべきなのだろう?

 それは「対立・敵対・排撃」――最低限に柔らかく言って「説得」の対応しかないと思うが、むろんイスラム国はじめイスラム原理主義勢力がそんな言葉に耳を貸すはずがない。

 我々は政教分離を正しいと思っているわけであるが、そんなことは絶対に正しくない・許されない・潰すべき思想だと思っている人が世の中には何百万人もいるのである。


 むろん私は、政教分離と民主主義を正しいと思っている人間である。(ただし、代表者を選挙する間接民主制が絶対的に正しいと思っているわけではない。)

 しかし、それが人類普遍の原理だとか、政治道徳の法則が普遍的なものであるなどというのは、事実として間違っていると思う。

 もし日本国憲法が改正されることがあるなら、そんな言葉は削除して然るべきだろう。

 イスラム国は、バグダーディ派イスラム教こそが人類普遍の原理であるべきだと思っている。

 たぶんエルドアン大統領は、もっと生活や社会体制にイスラム教を染み込ませた方がいいと考えている。

(ギュレン派もこの点同じなのかもしれない。)


 政教分離も民主主義も、ただ「我々はそれを信ずる/支持する」とだけ言っておけば充分である。

 よその国や民族・宗派には、もちろんそれとは違う考え方があろう。

 それを差し置いて自分たちの国制が人類普遍の原理に基づくなど、とても言えた義理ではない。

 「空爆もテロもやってることは同じ。だから欧米もイスラム国も同じ」との論法で言うなら、「人類普遍を掲げるのは日本もイスラム国も同じ」ということになるはずである。

 政治や道徳の原理が普遍である・あるべきだ――

 これこそ人類を破滅に晒す危険思想であり、逆に(人々がそれぞれを自由に選択・行き来できる)分立こそが平和をもたらす。

 「おまえも普遍に入れ、入らないのがけしからん」と侵略してくる連中を叩きのめし絶滅させることこそ、平和を守ることである。

 そういう風に思わないではいられない。