プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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フランストラックテロとイスラム国呼称問題、精神不安定犯罪者の尻馬に乗るイスラム国

 本当はプロレスの話を書きたいのだが、世の中でいろんなことが次々起きるのでそれもままならない。

 7月14日夜、保養地・観光地として有名なフランスのニースで、チュニジア出身のモハメド・ラフエジ・ブフレル(31歳)が25トン(!)トラックで意図的に人混みへ突入し――

 84人を死亡させ、警察と銃撃戦を行なった末に射殺された。

 そしてまたまた例により、7月16日、イスラム国が犯行声明を行う。

 なんでもこの犯人は、「イスラム国と戦う国の国民を狙え」という呼びかけに応えた戦士だそうである。

 しかしこれもまた、イスラム国と単独犯の「相互尻馬関係」に他ならないことを、疑う人はいないだろう。


(⇒ 2016年7月5日記事:イスラム国と共鳴者の相互尻馬関係、平和主義者はイスラム国をどう思うのか?)


 報道によると、ブフレルに熱心なイスラム信者らしいところはほとんどなかった。

 生活はすさみ複数の前科を持ち、精神疾患の気もあったそうである。

 今年3月には「武器を使った暴行」の罪で有罪判決を受けたが、初犯なので執行猶予が付いていたとのこと。

 まったくイスラム国は罪作りな連中である。

 こういうカス人間を感化させ、イスラム国さえなければチンケな三流犯罪者に終わるはずだった連中に、こんな大それた凶行を起こさせるのだから――

 それも「この事件は我々の大義と何の関係もない」と否定するならまだしも、尻馬に乗って「我々の共鳴者の作戦行動である」などと声明してしまうのだから。

 もういいかげん“まっとうな”イスラム教・イスラム教国は、イスラム国をはっきり異端と断定し全面対決の姿勢を見せた方がいいのではないかと思う。

 
 それにはまず、イスラム国を「バグダーディ派」とでも名付けた方がよいだろう。

 バグダーディとはむろんイスラム国首領の名であり、別にこの人が死んだ後でも使用しうる名称である。

 いくら“正道から外れた”存在かもしれないとはいえ、イスラム国はまぎれもなくイスラム教を信奉している。だからイスラムの名を省くことはできない。

 私は“まっとうな”イスラム教に悪影響・悪印象を与えるからと言って、イスラム国を「IS」だの「ISIS」だの言い換えることをバカにするものである。

 「イスラミック・ステート」を略してISと呼んだからと言って、それが何だというのか。

 アイエスと読めばイスラムという言葉が入らないから「まともなイスラム教」に触れないで済む、というのは、児戯に等しい言い換えである。

 “国や民族の名称は、彼らの自称で呼ぶべき。だからイヌイットをエスキモーと呼んではならない”という原則はどこへ行ったのか?

 イスラム国をアイエスと言い換えるべき、と言っている人の大部分は、そういう原則を正しいと思っている人ではないか?

 しかしイスラム国を「バグダーディ派イスラム教集団(武装勢力)」「バグダーディ一派」と呼ぶことは、そういうおかしさをクリアできる言い方である。

 しかもこれにより、彼らはイスラム教の一派には間違いないが異端でもあるというイメージ――いや、イメージではなく実態を言い表すこともできよう。 

 

 ところで、大型トラックの暴走で人々を大量に轢き殺すというのは、「新しい・防ぎようのないタイプ」のテロだと言われている。

 しかしまた、「いまさら何を言っているのか」という感も否めない。

 この日本でもつい最近、同じような事件があった。

 岐阜県海津市の68歳の男が自分の乗用車で児童の集団に突っ込み、8人に怪我を負わせたひき逃げ事件である。


(⇒ 2016年7月9日:ダラス警官狙撃事件とロボット爆殺、「68歳が車で児童の列に突っ込む」事件)


 これなども他のあまたの事件と同様、「すぐ忘れられるローカルニュース」になってしまったのであるが――

 もしこの男がでまかせにでも「イスラム国に共鳴してやった」などと言いさえすれば、日本を震撼させる大ニュースになったかもしれない。

(さすがに、いくら何でもこんなのをイスラム国が「公認」するとは思えないが……)


 車で人の群れに突っ込むことは、誰にでもできる。

 あなただっていつでもできるし、破滅型犯罪者にももちろんできる。

 我々はむしろ、この手の事件がなぜもっと起こらないのか、なぜテロリストの方法としても三流犯罪者の犯行としてもあまり使われなかったのか、ということの方を不思議に思うべきだろう。

 私は以前、誰にでもできる簡単な犯罪の代表格である「放火」が、なぜこんなに起こらないものなのかを記事に書いたことがある。

 そして、なぜテロ集団が「水源地攻撃」を行なわないのか考えてもみた。


(⇒ 2015年5月2日記事:官邸ドローン事件と個人テロリズムの時代 その4 なぜ放火はもっと起こらないのか)

(⇒ 2015年5月3日記事:官邸ドローン事件と個人テロリズムの時代 その5 水源地への毒の投入)


 放火とは、技術的にも心理的にも万引きよりやるのが簡単に思える。

 水源地に毒を入れるなど、誰だって考えつくことだと思える。

 そしてトラックで人混みに突入することもまた、何の訓練も技量もいらない安上がりなテロリズムである。

 しかしこれ、見方を変えれば、イスラム国はもうこの手の安直なテロリズムしか実行できなく――

 いや、自前の戦士でやるのでさえなく、世の中の前科者・ろくでなし・ゴクツブシ・精神疾患者の尻馬に乗ることしかできなくなっている、ということにもなるのではないだろうか?

 こういうのに「偉大な殉教」だとか「大戦果」だとか胸いっぱいに気勢を上げる“聖戦士”って、どうもバカで卑しいとしか見えない。

 
 折しも7月14日、米軍はシリア北東部で、イスラム国の「戦争相」と呼ばれたアブーウマル・シシャニ(ジョージア=旧名グルジア出身)を空爆で殺害した。

 イスラム国やアルカイダの幹部が空爆で殺害されたなどというのは、ほとんど日常茶飯事のニュースに近い。

 幹部がいくら死のうが新しい人物が後釜に座るだけだ、というのも真実である。

(ひょっとしたらイスラム国の中級司令官たちは、上司が殺されたら嬉しいのではないかとも思う。自分が昇進できるから)

 しかし「空爆ではテロは根絶できない」と言うのなら、「ゴクツブシの尻馬に乗ったテロで欧米は打倒できない」とも言えるはずである。


 ホントいいかげんイスラム諸国・イスラム教徒は、バグダーディ派イスラム国とはっきり敵対すべきである。

 「あいつらは異端」であり、「自分たちはあんな連中とは違う」と、世界に見せてほしいものである。