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プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

社会、ニュース、歴史、その他について日々思うことを書いていきます。【プロレス・格闘技編】はリンクからどうぞ。

ダラス警官狙撃事件とロボット爆殺、「68歳が車で児童の列に突っ込む」事件

 7月7日、アメリカ・テキサス州都ダラスで、警察による黒人市民射殺に抗議するデモの最中――

 元陸軍予備役兵のマイカ・ジョンソン(25歳・黒人)が狙撃を行なって警官5人を射殺・7人を負傷(市民2人も負傷)させ、最終的には駐車場ビルに立てこもった彼を、警察がロボットを送り込んで爆殺するという事件が発生した。

 テキサス州ダラスと言えば、あのケネディ大統領暗殺事件が起こった場所として有名である。(1963年11月22日)

 そしてオールドプロレスファンにとってテキサス州とは、「アメリカで最も観客の気性が荒い土地」として知られている。

 私がこの事件を聞いたとき、反射的に思いついたことは次のとおり。


(1) これは現代の「リアル・ランボー」である。

 あまりにも有名な映画、シルベスター・スタローン主演の『ランボー』シリーズ第1作は、まさにベトナム帰りの元兵士がたった一人で警察との銃撃戦を行なうストーリーである。

 ランボーは悲しみを抱えたヒーローだが、もちろん現実に映画のようなことをやれば大犯罪となる。

 また、そんなことをやって生き延びることも現実には不可能である。

 むろんマイカ・ジョンソンも生き残れるなどと最初から思ってはいなかっただろう。


(2) ロボット爆殺は現代の「ゴリアテ」である。

 警察はロボットで爆弾を送り込んでジョンソンを殺したが、もちろんロボットと言っても人型ではなく車両型だ。

 これはどうしたって、ナチス時代の旧ドイツ軍の兵器として有名なリモコン爆弾ミニ戦車――有線ラジコン戦車である「ゴリアテ」を想起させずにいない。

ゴリアテ旧約聖書ダビデに倒された巨人。小さなラジコン戦車にあえてそんな名前を付けたのは、同じく旧ドイツ軍の超重戦車に「マウス(ねずみ)」と名付けたのと同じ命名センスである。)

 ゴリアテは敵の陣地の鉄条網を破壊する目的で作られたが、“ラジコン車に爆弾を乗せて犯人を爆殺する”というのも、今まであってよさそうなものである。

 しかし、そんな目的でラジコン車ないしロボット車が警察に使われたのは今回が初めてとのことだから、「古くて新しい戦術」と言ったところだろうか。

 なお、ドローンやラジコンヘリをそんな目的で使うことについては、過去に記事を書いたことがある。


(⇒ 2015年4月30日記事:官邸ドローン事件と個人テロリズムの時代 その2 兵器としてのドローン)

(⇒ 2015年5月1日記事:官邸ドローン事件と個人テロリズムの時代 その3 戦場の未来は地べたにあり)


(3) これは現代の「テキサスタワー銃乱射事件」である。

 1966年8月1日、元海兵隊員のチャールズ・ホイットマン(25歳)がテキサス大学オースティン校(またテキサスだ)の時計塔に立てこもり、M1カービン銃や狙撃ライフルで地上の人々を射殺し始めた。(その前に時計塔の受付嬢や見学者も殺している。)

 ホイットマンが警察に射殺されるまでの1時間半で、警察官と市民15人が死亡、31人が負傷している。

 犯罪史に興味のある人なら絶対に知っている、ほとんど記念碑的な事件と言えるだろう。

 高所からの射撃、犯人が元兵士であるなど、今回の事件との共通点は多い――

 しかしながら、銃で「狙撃」しようとすれば、どうしてもこのテキサスタワー型の事件になってしまう。

 銃「乱射」事件とは呼ばれているが、やはりこれは「乱射」と言うより「狙撃」である。

 今後も同様の事件は起こり、そのたびにテキサスタワー事件とホイットマンの名が想起されるのだろう。

 

 さて、もう一つ、私が思いついたことがある。

 それはつい最近、日本で起こった事件――

 6月30日7時半ごろ、岐阜県海津市の市道で登校中の小学生の列に車で突っ込み、児童8人にケガを負わせたひき逃げ事件のことである。

 犯人は、海津市海津町の職業不詳の男・鷲見(すみ)晴美(68歳)。

 県警が彼の自宅を捜索したところ、児童らへの殺意をほのめかす手書きのメモが見つかったという。

 地元民のために言うと、彼が引っ越してきたのは数年前のこと。

 以前にも通学中の児童に幅寄せしたり、危険な運転を繰り返したりしていたという。

 ひき逃げ後に近くの駐車場で自殺しようとしていたところを警官に発見されたとのことで、しかし逮捕後は「弁護士と相談してから話す」とも言っている。

 容疑者として当然の態度と言えばそうなのだが、やはり「ふてぶてしい奴だ」と思われることは免れない。

 それにしてもおぞましいのは、「児童らへの殺意をほのめかすメモ」のくだりである。

 いったい68歳の男が、どんなメモを書いていたというのだろう。

 察するに陳腐な「電波系」のメモなのだろうが、それを書いている姿を思うと、実に寒々しく狂気的に感じられるではないか。

 さらに察すると、かつて児童にイヤな目に遭わされたのではないかと思うが、どうだろうか?

(自転車の児童に邪魔者扱いされたとか――)


 そしてもし日本でも(アメリカのように)銃が市販されていれば、こういう男は小学校の運動会にでも行って児童・保護者らを射殺していたのだろう。

 しかし銃が簡単に手に入らない以上、最も手軽な大量殺人の手段は、車で人の群れへ突っ込むことには違いない。

 この最悪の老害ジジイも、その程度の理性と知能はあるのである。


 現代は「テロと言えばイスラム国」の時代とはいえ、何もイスラム凶徒に限らず、何の組織にも属しない同国人にだってテロはいくらでもできる。

 日本でも“車で人混みへ突入する”事件はなぜもっと起こらないのか、と逆に疑問に思った方がいいのかもしれない。

 いや、実際は、日本でもこの手の異常者が起こす事件はしょっちゅう起こっている。


 これもつい最近の6月23日、北海道釧路市の「イオンモール釧路昭和店」で、新聞配達員の松橋伸幸(33歳)が来店客と店員を次々切りつけ、1人が死亡・3人が重軽傷を負う事件が起きた。

 彼は「死刑になりたかった。人生を終わりにしたかった」と供述している。

 我々はこういうニュースに「またか」と思うと同時に、速やかに忘れ去ってもいる。

 次から次へと入るニュースに、過去のニュース(つまり全てのニュースということだ)は絶え間なく押し流されているのである。

 通り魔や狂人に殺されることは、まるで台風で死者が出たという“よくある自然現象”であるかのような感覚になっている。

 今回のダラス事件もまた、少なくともアメリカ人ならぬ日本人にはさっさと忘れられるのだろう。

 6月12日に起こったフロリダ州オーランドでの銃乱射事件を、いま何人が憶えていることだろう?

 そして7月1日のバングラデシュ・ダッカでのテロ(日本人7名が殺された)も、3ヶ月も経たないうちに日本人の記憶から消えてしまいそうである。


(⇒ 2016年6月15日記事:同性愛者に銃乱射 尻馬に乗るイスラム国と、宗教にとっての「踏み絵」)

(⇒ 2016年7月3日記事:ダッカで日本人殺害テロ イスラム国の対日攻撃開始か)


 イスラム国がテロを起こし続けているのは、「サメは泳ぎ続けていないと死んでしまう」のと同じではないか、と思わずにいられない。

 そうしないと速やかに存在を忘れられ、注目も資金も人員も集められなくなるからである。