プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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「出産」はいずれ「クリトリス切除」と同じに見られる?

 先日の記事では、近未来に現実化するかもしれないこととして次の3つを挙げた。

(1)「理想の恋人」は人工的に創られることになる。

(2) 天然の人間の子どももまた、女性の腹ではなく培養器・保育器内で創られるのが普通になる。

(3) 子育てはほとんど全面的に外注されるようになる。

tairanaritoshi-2.hatenablog.com


 それらが起きるのは、人が結婚・恋愛を面倒がり重荷に感じるにしても、やはり自分の遺伝子を伝えたいと願望するものだからである。

 しかし突き詰めて考えてみると、なぜ遺伝子を残したいかと言えば、どうせ自分は100%死ぬとわかっているからである。

 自分の集めたコレクション、自分の持つ記憶などといったものを、全部とは言わないが受け継いで欲しいと思うからである。

 これは逆に言えば、自分さえ死ななければ別に子孫は必要ないことを意味するだろう。

 そしてもちろん人類は、死ぬ可能性を減らすようテクノロジーを進化・深化させていくのはわかりきったことである。

 いずれガンもアルツハイマーも、その他の病気もほとんど克服される日が来る。

 ヒトの平均寿命が100歳になり150歳になり、200年もその上も生きられるようになることを本気で疑う人は、むしろ少数派ではないだろうか?

 死ぬまで若いままでいたという人類の夢は、今後100年以内には確実に実現すると思う。

 なぜならそれが人類の需要であり、需要はいつか誰かが必ず満たすからである。


 人体の器官をパーツ化し、取り替えられるようにする。ヒトがサイボーグのような存在になる。

 あるいはベタなSFの設定のようだが、「自分の意識をコンピュータに移して永遠に生きられるようになる」――

 これらは全て、大いに実現可能性がある。と言うより絶対に実現する。

(こういう未来予測はほとんど外れるものだが、それは「手段」「方法」についてである。

 「内容」つまり「ほとんど永遠に生きられるようになる」ということは必ず実現するだろう。)


 不老不死が実現し、人が死ぬことがほぼなくなればどうなるか――

 こういう質問をされれば、ほとんどの人は否定的な答えを返すはずである。

 そんなことになったら社会がメチャクチャになるとか、逆説的ながら「人類はお終い」だとか……

 たぶんあなたも反射的にそんな答えを返すと思うが、もし不老不死が自分の手の届くところにあるなら、ほとんどの人がそれを選ぶのもまた間違いないことではないだろうか?


 むろん人間が不老不死に近い存在となれば、子孫を残したいという意欲は減退する。

 そんなにも生きる時間が(しかも若いままの時間が)増えれば、恋愛もセックスも子育てもさすがにやる人が増えるだろう――

 それはそうかもしれないが、むしろ他の“やりたいこと”にますます時間を費やすのが現実ではないか、と私には思われる。

 災害や事故に遭わない限り死ぬことのなくなった人間に必要なのは、子孫ではなく自分のバックアップである。

 そして“自分のバックアップを取っておく”などということさえも、そんな遠くない将来に実用化されることになろう。


 「人の死なない未来」で起こることについては別途書くとして――

 そこに到る過程で起こるだろうことの一つは、「出産」というものがますます忌避されるようになることだと思う。

 今でも出産というのは、女性のキャリア形成・社会進出にとっては障害にしかなっていない。

 そして誰が何と言おうと、「職場に迷惑をかける」ことになっている――職場のホンネがそうであることも間違いない。(仕事至上主義の表れである。)

 むろんそれが、肉体的にも大変なことだと(本人・社会とも)一応は思っているのも事実である。

 だからこそ、そういうものは外注化(腹で作らず培養器で作る)されるだろうと予測されるのだ。

 もしそんな社会になったなら、人間の腹の中に子どもを宿して産み出すなど、きっと野蛮なことと見なされるようになるだろう。

 それはちょうど現代日本の我々が、アフリカ諸国でよく行なわれている「クリトリス切除」を見るのと同じように見られるだろう。

 つまりそんなことは、グロくてバカげておぞましい風習と見なされるようになる。

 そこまでは行かなくとも、変わり者や奇特な人のやることだと思われるようになるのではないだろうか?

 たとえて言えば、いまだ電気釜を使わず薪(まき)を燃やしてご飯を炊くような人を見るような……

 若者の“セックス離れ”――セックスが気持ち悪いと思っている若者が増えている、などという(人によっては信じがたい)現象は、その予兆ではないかとも思える。 
 

 出産とは、かつて日本人(「自分を「麿」と呼ぶ貴族に限らず、既婚女性も)の常識・たしなみであった「お歯黒」が辿ったのと同じ道を辿るのではなかろうか。

 
 私は永遠に生きたいとは思わないが(しかし実は思っているのだろうが)、10年ごとに生まれ変わって世の中がどう変わっているのか見てみたい、とは思う。

 人の腹から子どもを産むなど、遅れた・程度の低い・野蛮人のやること――

 と日本人のほとんどが普通に思っている社会というのは、西暦2100年を待たずして実現しているような気がする。

 そんな社会を見てみたいとも思うのである。