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プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

社会、ニュース、歴史、その他について日々思うことを書いていきます。【プロレス・格闘技編】はリンクからどうぞ。

「恋人・配偶者はいらないが、自分の遺伝子を受け継ぐ子はほしい」という需要に応える未来

 間が開いてしまったが、本記事は

tairanaritoshi-2.hatenablog.com

 の続きである。
 

 恋愛・結婚は「わずらわしい」、そして自分のやりたいことの邪魔になるから積極的に「やりたくない」。

 出産・育児は喜びかもしれないが「手間がかかって大変そう」、だから忌避する・気が進まない。

 こういう人はかなり多いうえに次第に増えてきているとも思うが――

 それでも彼らが初めから持っていて、年齢を重ねるうちに強くなると思われる願望は、「自分の遺伝子を受け継いでくれる存在が欲しい」というものだろう。

 実際の話、「配偶者は特にいらないが子どもは欲しい」と思っている人は、世の中にたくさんいるのではないだろうか。

(たとえ確固たる独身主義者でも、である。)

 また女性の場合、「離婚して自分が子どもを育てているが、特に再婚しようとは思わない」人は、とても多く実在するのではないだろうか。


 「自分の遺伝子を受け継ぐ存在が欲しい」というのは何だか科学者のような思い方であるが、現代はまさにこういう用語を一般庶民がナチュラルに使って思う時代なのである。

 そして突き詰めて言うならば、現代人の願いは次のように要約されると思われる。

●自分の遺伝子を残したい。それには(今のところ)子どもを持つしかない。

●恋人が持てればそれに越したことはないが、それには譲りたくない理想水準がある。

●しかし自分はやりたいことや仕事に打ち込まねばならないので、子育てコスト(時間、労力、気苦労、カネ、その他諸々)はできるだけ回避・軽減したい。 

 これらの「願い」は、「需要」という言葉に変換できる。

 これら需要を満たす手段がもしあればそれは大ヒット商品となるだろうし、実際にそれは実現すると思う。

 長い目で見れば人間は次々とそういう需要を満たしてきたし、その結果が今の社会だからである。


 さて、では科学技術はどうやってそれら需要を満たすだろう?

 考えつくのは次のようなものだ。


(1)「理想の恋人」は人工的に創られることになる。
 
  ロボットやアンドロイドと呼ばれるものであるが、人工知能の生んだ「心」を組み込めば、それはもう人間である。

  もちろん人工的なので、容姿や性格は発注者(購入者)の注文に沿って創られる。

  たまにそれらを取り替えることだってできるだろう。

  こういう「人工彼女」に、男性はかなりやすやすと乗り換える/適応するのではないかと思う。


(2) 天然の人間の子どももまた、女性の腹ではなく培養器・保育器内で創られるのが普通になる。

  自分の遺伝子と“優秀な”誰かの遺伝子を掛け合わせ、いわゆる「デザイナーズ・ベイビー」が普及するだろう。

  もちろんそれが男の子であれば、成人時の身長は170センチ以上にセッティングされるはずである。

 (こういうことができるなら150センチ台に設定する親はほとんどいないと、あなたも思うはずである。)

  日本人の体格は劇的に「向上」することが見込まれる。


(3) 子育てはほとんど全面的に外注されるようになる。

  今でも親は子どもを保育園に預けたいのだが、どうせならずっと預けきってしまえば自分の時間は自由に使える。

  仕事に穴を開けることもなく、会社もハッピー、自分のキャリアもハッピーである。

  保育施設に子どもを預けきり、親はたまにそこへ出かけて一緒に遊んだり旅行に連れ出したりする。

  それ以外はずっと子どもは集団生活するのだから、さぞその子たちは(親が子どもに身につけて欲しいと願う)集団性にどっぷり漬かれるだろう。

 (この文、私は集団性なんてものをとことんバカにしているので、皮肉な響きになってしまうのはご容赦願いたい。)  

  
 こんな社会になるわけないって?

 いやいや、なるに決まってるだろうと言ってもいいほどである。

 あなたは(1)~(3)のようなことが一般的になった社会を、おぞましい暗黒社会と感じるかもしれないが――

 それを言うなら、「女性の平均初婚年齢が三十歳前後である」今の社会は、昔の人にとって信じられない未来に違いなく、しかも彼らは決してそういう未来を輝かしい素晴らしいものだとは思わなかっただろう。

 また、親が働くために子を保育園に預けようとする社会、それができないのは社会の落ち度だと人民が自然に思う社会についても、やはり同じ感想を抱いただろう。

 だいたいつい最近まで、保育園とは「(母)親が働きに出なければ生活できない家庭の、可哀想な子が行くところ」と思われていた。

 そこに行く子は「可哀想」と見られていた。

(そもそも、そういう子たちのために保育園は作られたのだ。)

 しかし、保育園についての人民の意識はあっさり変わった。それはもう義務教育の学校と同じ程度に、「行って当然」の施設となった。


 親が子を自ら育てず、施設に入れてたまに会いに行くだけ――

 これは今でも「可哀想」と見られるだろうが、しかし昔の貴人は自分でわが子を育てず、「乳母」らに育てさせるのが普通であった。

 今の人民は昔の貴族よりよほど高水準の生活をしている(性生活は除く)のだから、再びそういう慣習が一般化しても驚くことは何もあるまい。


 「人工彼女」と人間が付き合うなど不健康なオタクの無惨ななれの果て――

 と今の人間は(特に女性は)思うかもしれないが、それが普通になるのは案外近い未来だと思う。

 そういう人工人間が実用化されることを、私は全く疑わない。

 ただ気になるのは、人間とほとんど同じ「心」を持った人工人間に対し、それでも天然人間は差別意識を持つのだろうかという点である。

(もちろん、持つ人はいるに違いない。しかし彼らも速やかに淘汰されると思う。いずれ天然人間の方が少数になることによって。)

 その人工彼女と付き合っているのが、同じく人工人間の男型だったとしても、これまた驚くに値しないことと言える。


 つまり、人間の意識も社会も絶対必ず変わるのである。 

 そうでなければ我々日本人はいまだ、卑弥呼の後継者の鬼道によって治められていたことだろう。

魏志倭人伝に、卑弥呼は“鬼道”という宗教的権威で倭人を治めていたとある。) 

 今の子作り・子育てがこのままずっと今の形で続いていくなどと考えるのは(願うのは)、

 古代エジプト人が今でもピラミッドを作っている(作るべきだ)と考えるのと全く同じことだと言える。


 あなたがいくら頭ガチガチの保守主義者だったとしても――

 まさか西暦3000年の社会が今の社会の延長だとか、今の社会とあまり変わらないものだなどと、本気で考えはしないだろう。

 日本で初めてインターネットのサービスプロバイダが営業を開始したのは、1992年である。まだ30年も経っていない。 

 日本で初めてスマートフォンが市場に登場したのは、2008年である(iPhone 3G)。まだ10年すら経っていない。

 江戸時代が終わったのは1868年であり、まだ150年経っていない。それまで我々はちょんまげを結うのが普通だったのである。

 これをもってこれを見れば、あと数十年以内にどれだけ社会が変わるかは計り知れないものがある。

 おそらく少子化も恋愛離れも――

 今の我々が思ってもいないし、大部分の人は思いたくもないような形で解決されるのだろう。
 
 未来人の中に「平成30年前後」のあまたのブログ記事を歴史研究の材料にする者がいるかはわからないが、それもまた面白そうな話ではある。