プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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「#保育園落ちた日本死ね」は「日本土民蜂起の初めなり」か? その2

 思えば、正長の土一揆というのも京都周辺から近畿にかけての局地的な出来事であった。

 土倉・酒屋という金融業者が栄え、馬借という運送業者が多くいたというのも、日本全国から見ればあくまで局地的な現象であったように思う。

 そしてよく考えてみれば、また考え方を変えてみれば、「借金を棒引きにしろ」というのはメチャクチャな主張である。

 そのメチャクチャな主張をもって立ち上がり、暴力行為を働くのだから、大乗院の尋尊が“凡そ亡国の基、之に過ぐべからず(およそぼうこくのもとい、これにすぐべからず)。”と嘆きと憤りを示したのも無理からぬ事に思える。

 そこでこのたびの「保育園落ちた日本死ね」だが、これもまたメチャクチャなことを乱暴・暴力的な言葉で主張していると取れないこともない。

 国会議員を減らしても保育園の増設にはあまり繋がらないだろうし、児童手当を20万円支給(これが月額か年額かわからないが)するなどさらに無理だ。

 だいいち現代の代議制民主主義国家において、国民自身がその代表者の数を減らせなどと言うのはメチャクチャなことではないだろうか?

(増やせ、と言うなら筋は通っている。増やす代わりに一人当たりの手当を減らせ、と言うのもまだわかる。

 しかし単純に「減らせ」という意見の方が国民の中で大勢を占めているのは、しょせん政治とは自分たちでない誰かがやる「べき」ものだと国民自身が考えている証である。

 この「アウトソーシング民主主義」が日本において“正しい民主主義”とされていることについては、著作『尊敬なき社会』で詳しく書いている。)


 また、正長の土一揆が「暴力的な実力行使」だったからこそ天下に衝撃を与えたように――

 「保育園落ちた日本死ね」もまた、乱暴な言葉遣いだからこそ現代の天下に影響を与えた、と言い得ると思う。

 もしこれが丁寧な文体で訴えかけるものであれば、まず間違いなくこんなにも広まることはなかった、とあなたは思われないだろうか?

(たとえ原文の乱暴な文体と全く同じことを言っていても、である。)


 以上のことは、次の二つを推論させるに充分である。

●「都」で起こったこと、大都市圏で起こることは、たとえ局地的な事象であっても全国的な問題と見なされる。
 (これだからみんな都会に住みたがる。)

●暴力行為や暴力的言動、引いてはテロリズムには、やっぱり有効性がある。

 
 現代日本の七不思議の一つに数えてよいと思うのは――

 東京圏には近いうち巨大地震が必ず来るとみんな知っていながら、それでも地方の若い人の多くは東京圏に住みたがるということである。

 しかしそれも、不思議でも何でもないのかもしれない。

 第二次関東大震災級の地震が起こっても、その犠牲者数は最大数十万人と推計されている。

 1,000万人の人口のうち1割も死なないのだから、そのリスクを恐れるより「地方より影響力のはるかにデカい」東京に行きたがるのは理に叶っている。

 そしてこれからのネット界は、「二匹目のドジョウ」を狙う意味も込めて、ますます乱暴な言葉遣いが幅を利かせるのではないかと思う。

 丁寧な口調で書き込んでも、乱暴な“本音の”口調より、はるかに拡散力が劣ると思われるからである。

 そして、乱暴な口調での書き込みが大成功を収めた先例ができたからである。