プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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生活保護の基本論:「人並み」と「最低限」は明らかに違う、ということ

 さて、全員とは言わないが生活保護の受給者たちは、
 そして彼らのためを自認する弁護士・法曹・市民団体の人たちは、
 生活保護受給者が「人並みの生活」ができるよう訴える。そういう訴えを我々は、新聞紙上やウェブ上で頻繁に目にする。

 しかし憲法生活保護法の条文をよく読んでみよう。いや、チラ見するだけでもよい。
 そこに書いてあるのは「最低」という文字である。
 「最低」は最低であって、絶対に「人並み」とは違う。「最低」は「人並み」より下なのはわかりきったことであって、これを否定する人間は狂っているか自分にウソをついている。
 よって、生活保護受給者が「人並みの生活」を送れないのを批判したり悲憤慷慨したりするのには理由がなく、完全に誤った主張であることになる。

 

 もし生活保護受給者が「人並みの生活」を送れるべきだと言うならば、まずもって憲法改正を主張すべきである。
 「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」(憲法第25条)――
 これを「すべて国民は、健康で文化的な『人並みの』生活を営む権利を有する」と変えねばならない。
 “人並み”という言葉が憲法にとっては平たすぎる言葉だというなら、“国民の平均的水準の生活を送る権利”にしてもよかろう。
(しかしそうなると、生活保護者は平均未満の国民より上の生活を送る権利がある、という変なことになってしまうが……)

 

 こうやって憲法を改正すること、改正案を作ることこそ、弁護士など“弱者の味方”の法曹関係者がやるべきことではあるまいか。
 だって、そうでなければ生活保護受給者が「人並み」の生活を送る権利はないはずなのだ。
 そういうことを主張するのは、憲法の法文と精神に則っていないことになるはずなのだ。

 以上のことを否定するには、「人並み」と「最低限度」は等価である、との不可能かつアクロバティックな主張をせねばならない。
 よって、それは不可能である。

 そんな不可能なことを臆面もなく主張できるのは、世の中の人が「生活保護受給者が人並みの生活を送るのはおかしい」と言うのに臆しているから――
 「とんでもない、ひどいことを言う奴だ」と世の中に叩かれるのを恐れているからである。
 しかし「人並み」と「最低限度」が違うということに、そんな“思い”や“意見”や“感情”が入り込む余地は全くない。
 この二つが同じことを意味しているなど、絶対にあるわけがないのである。


 そして「働けるけど働かない/働こうとしない人」を生活保護から除外するには、「最低限度」の支給という法定概念を遵守していくしかないだろう。
 決して“人並み”ではないからこそ、“人並み”になりたいとする気持ちが生じる。
(世の中のほとんど全員が、“人並み”に暮らしていきたいと願望しているはずであるから。)

 生活保護で人並みの生活が送れる/その権利が保障されているとすれば――
 生活保護に留まり続け、一生生活保護であり続けたいと思う人が出てくるのは、全く当然のことと言わねばならない。