プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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「最初のアメリカ人」は日本・北海道から来た?-「扶桑説」は死なず、何度でも甦る

 アメリカ大陸に最初に到達した人類は、日本(あるいは中国)から来た。

 たとえ最初ではなくても、ヨーロッパ人(ヴァイキング)の到達以前に、日本人(あるいは中国人)が既にアメリカに到達したことがある――

 これを「扶桑説」という。

 古代中国の文献に、東方の海上に浮かぶ「扶桑」という伝説的な島があると書かれているので、その扶桑とはアメリカ大陸のことだとする意見があるのだ。
(もっとも、日本の別名を「扶桑」ともいう。)

 

 この説は最近になって現れたのではなく、20世紀の初め頃には既にあった。

 そしてまた最近、それを「例証」するかのような石器の発見がアメリカであったという。  

 何でも、アメリカ中北部のアイダホ州クーパーズ・フェリー遺跡から発掘された約1万6000年前の石器が、北海道は白滝遺跡で見つかった同時代の石器と酷似しているのだという。

gigazine.net


 私はもちろん石器に関して全くの素人なので、酷似していると言われればそうなのだろうと信用するしかない。

 しかし、誰でも思うとおり――

 「この程度の酷似」なら、世界のどこか全然違う場所の石器でも、やっぱり酷似したのがあるんじゃないかと反射的に思ってしまう。

 とはいえ、最初のアメリカ人がユーラシア大陸から(氷結したベーリング海峡を渡って)徒歩で大陸の真ん中の「道」を通ってきたのではなく、

 アメリカ大陸西岸を海岸伝いに小舟で順々に渡ってきた、というのは、とてもありそうな話とも思う。

 
 だが、やはり人を(日本人を)最もワクワクさせるのは、「コロンブス以前の日本人が、船で直接アメリカに到達していた」という話である。

 いま全く参考資料を見ないで思いつくだけでも、今まで提唱された説には次のようなのがある。


(1) 縄文時代、日本の縄文土器と酷似した土器が南米エクアドル(バルディビアという土地)で発見されている。これは日本と南米の交流があった証拠。

(2) 弥生時代魏志倭人伝に「倭から船行1年」と記された「裸国・黒歯国」とは、中米のことである。

(3) 室町時代、日本人が北米に渡り、ズニ族と呼ばれる現住民に影響を与えた。

  ※これは『ズニ族の謎』というタイトルで、ちくま文庫から翻訳が出ている。


 いやあ、何と胸躍る話ではあるまいか。確かに私は、こういう話が好きである。

 しかし一方、ヴァイキング以前にアメリカに到達したという説がある民族は、全く日本人に限らない。

 古代エジプト人、古代フェニキア人、古代アフリカ人、もちろん古代中国人と、押すな押すなの盛況の有様と言っていい。

 
 思うに、こういう説が乱立し、何度でも復活を遂げるのは――

 間違いなくこういう説に「魅力」があるから、ロマンがあるからである。

 不思議大好き人間、特に男性からの人気を集めるからである。

 
 ただ私は、古代の日本や中国から、ダイレクトに船でアメリカに到達できる(それも移住・入植と呼べるだけの人数が)とは、やはり思えない。

 数人が生きて漂着することさえ難しいと思う。

 もちろん、古代日本の漂着船が太平洋のどこかの島に生存者を乗せてたどり着くことはあったろう。

 ただそういう人たちは、現地に何の影響も残さず消えてしまったというのが最もありそうな話である。


 だが、それでも、とにかく「古代人が船でダイレクトに北米・南米に到達した」という説には、抗いがたい魅力がある。

 よってそういう説は、何かちょっとあれば何度でも不死鳥のように甦るに違いない。

 それに比べれば今回の酷似石器の件、「海岸を小舟で順々に移動しながら北米到達」説は、ずっと穏健でありえそうな説である。

週刊ポスト「韓国不要」特集で批判集中と謝罪-「ライト(右)マガジン」という分類

 小学館の発行する「週刊ポスト」9月13日号が「韓国なんていらない」と大文字の表紙を使い、
「『嫌韓』ではなく『断韓』だ」
「厄介な隣人にサヨウナラ」
 という見出しを使って反韓嫌韓特集をやったというので、多くの人に批判されている。
 この反応を見て同誌編集部は、「誤解を広めかねず配慮に欠けていた。お詫びする」と謝罪した。

 言うまでもないことだが、今回の週刊ポストの例は氷山の一角である。
 同じ小学館が発行する雑誌「SAPIO」では、こんな特集は何年も前から普通にやっている。
 表紙や見出しの文章も、今回の週刊ポストと同程度かさらに強い調子であって、それが通常運転みたいなものだ。
 
 そして、これも言うまでもないことだし、このブログでも何度か書いてきたが――
 出版社というのは、もちろんのこと営利企業である。文字どおり「出版業者」である。
 そこらのどこの会社や業者とも同じように、売れなきゃ話にならないのだから、いかにも売れそうな商品を(便乗してでも)出そうとするのは当たり前のことだろう。
 だから私は、こういう記事を書くなとは言わないし思いもしない。
 しかし、他業種の業者がどんな商品を出した場合とも同じように、別にそれに付き合って買う義理もないと思うのである。

 さて、今回の週刊ポストとかSAPIOとかのみならず、今の日本の書店には反韓本が溢れているのは周知のとおり。
 そしてこれが、
反韓の日本人が多いから、出版業者は反韓本を多く出す」のか、
「出版業者が反韓本を多く出すから、反韓の日本人がますます多くなるのか」のか、
 これはどちらが正しいというのではなく、それこそこの二つが相互作用しているのだろう。
 
 もちろんこういう本を買うのは、「こういう記事を読みたい人たち」である。
 反韓の人が親韓の本をわざわざ買って読むなんて、まずあり得ない話だし――
 人は自分の好みでない意見の記事を読むなんてことはせず、自分が好む意見の記事こそ読みたがる。
 決して公平な裁判官のように両方の意見を読んでみようということはなく、自分の意見を強化してくれそうな意見だけを選んで読むものである。
 それが、世間一般の普通の人間というものだ。

 ある意味これは、エロ本にも似ている。
 この9月1日から全国のコンビニでエロ本コーナーが撤去されているはずだが――
 その代わりと言っては何だが、こうした「思想的活字エロ本・エロ雑誌」というのは、普通に書店に氾濫している。
 たぶんこれは、ライトノベルならぬ「ライト(右派)マガジン」とでも言うべきなのだろう。
 もっとも、かつては岩波書店の「世界」なんかが左派の知的エロ本として売れていた時代もあったのだろうから、これはどっちもどっちである。

 ところで皆さん不思議なのは、「反韓も親韓もどっちの意見も両論併記する」雑誌が、とんと見当たらないことではないだろうか。
 そんなことは、いとも容易くできそうに感じられる。
 しかし、実に簡単に見えるこんなことが、まず行われないところを見ると――
 両論併記的な本や雑誌というのは、つくづく庶民に人気がないのだと思わざるを得ない。
 たぶん世の中の人は、想像以上に「どっちつかず」というのが嫌いなのだろう。
 そして実際、そういう本は片方に偏った本より、目に見えて売れ行きが悪いのだろう。 
 庶民の好みがそういうものである以上、ここ当分の間はライトマガジン・ライトブックの多量出版は続くと思われる。
 そしてまたいつの日か、レフトマガジン・レフトブックの時代が戻ってくるのだろう……

一風堂が1杯3400円ラーメンをホテルで提供-「昼飯に800円使う人は富裕層」だと思います

 ラーメン界の雄・一風堂が、外資系高級ホテルのザ・ペニンシュラ東京において、全客室向けに「1杯3400円」のラーメンを提供しているそうだ。

 その試食会が行われたのは、同ホテル最上階の「1泊200万円」のスイートルーム。

 そう、1泊で200万円。

www.itmedia.co.jp


 高級ホテルとくれば別段珍しくもない値段設定なのだろうが、世の中にはこんなのに泊まる人が複数いるのだ。

(余談だが、ネットを見ていると格差社会に絶望して日々生きている人はとても多いように感じるのだが、こういうホテルはその人たちの焼き討ち対象にはならないのだろうか……?)


 ラーメン1杯3400円とは法外な値段だが、しかしこれも驚くようなことではない。

 こんな高級ホテルに泊まる人にすれば、3400円なんて気軽に出せる額だろう。

 そこまで行かない人にしても、たまに高級ホテルに泊まれば、ついつい財布の紐が緩むものである。

 だいたいモノとサービスの値段なんて、高くしようと思えばいくらでも高くできるのだから……

 私ももし泊まるようなことがあれば、話の種に注文するかもしれないし。

(しかし、きっと罪悪感を覚えながらである。)


 とはいえ私は、「昼食に800円も使うような人は、富裕層である」と常々思ってきた者である。

 しかし世の中には、1食800円超の外食屋なんてザラにある。

 これだけ日本経済が低迷しているゼロ成長であると言われながら、世の中にはかくも富裕層が多いのか――

 と日々感じているのは、きっと私だけではないと信じる。

 
 毎日の昼食に800円超を支出しているか否かは、たぶん富裕層とそうでない層を判断する、一つの基準だと個人的には思っている。

 それは「生活が苦しい」と言っている人が本当に苦しいのかどうか、判断する基準でもあるのではないだろうか。